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早川嘉美の賀状展 50年の歩み

はや年賀状が気になる季節になろうとしています。難しい小論文のようなコメントから書、パズル、絵画など結構様々なスタイルが届きますが、私は「生きてますよ!」を伝えれば十分だと思っています。 ですからその時その時に取り組んでいるものを優先して取り上げてきたように思います。
50年をたどってみればどういうことになりますか?

まったくの自己満足ですが、ちょっとでも楽しんでいただければうれしいですねぇ~。

平成28年(2016)の賀状


平成28年(2016)の賀状
 残念ながら、平成27年の年賀状が残されていませんので、飛びました。
この年のパズルは私でも解けました! アレレ!おかしいかなぁ~

正解は「丙猿賀正」



 【お願い!】
平成25年(2013年)と27年(2015年)の年賀状が残されていません。
ひょっとしたら、どなたかが残しておられるかもしれません。もし残っていたら、ウラオモテ両面をメールででも送っていただければ嬉しいです。

2021.6.1

平成26年(2014)の賀状

平成26年(2014の賀状)
 残念ながら、平成25年の年賀状が残されていません。 それにしても難しいパズルだなぁ~ なかなか解けないや❣

 【お願い!】
平成25年(2013年)と27年(2015年)の年賀状が残されていません。
ひょっとしたら、どなたかが残しておられるかもしれません。もし残っていたら、ウラオモテ両面をメールででも送っていただければ嬉しいです。

2021.5.1

平成24年(2012)の賀状

平成24年(2012の賀状)
うっすらと映っているのは最後のスウェーデン旅行になったときのストックホルムでのワンショットです。  もう一度行きないなぁ~という気持ちともう億劫だなぁ~が入り乱れて、懐かしく思い出しています。
パズルは難しそうに見えますが、ナンクロをアレンジしただけです。
慣れるまでは戸惑いもありますが、それほど難しくありません。

 【お願い!】
平成25年(2013年)と27年(2015年)の年賀状が残されていません。
ひょっとしたら、どなたかが残しておられるかもしれません。もし残っていたら、ウラオモテ両面をメールででも送っていただければ嬉しいです。

2021.4.1

平成23年(2011)の賀状

平成23年(2011の賀状)
いま見ると難しいパズルですね。
「狐死して🐰悲しむ」どうしてなんだろうなぁ~
「春の日に🐰を釣るよう」何を言わんとしてるのかなぁ~

2021.3.1

平成22年(2010)の賀状

平成22年(2010の賀状)
はやかわよしみ水彩画展(単独開催)の案内が新年のご挨拶になっています。
それにしても 1月5日~31日の開催 忙しい時期にようやってたもんですねぇ~

2021.2.1

平成21年(2009)の賀状=続き

平成21年(2009の賀状)
平成22年度を準備していたら、なんと前回発表の平成21年は3種類も作っていたことがわかりました。
日の目を見ないのはなんとなくもったいないので、前回に続いて平成21年度の作品になります。あわてんぼうですねぇ~。

2021.1.1

平成21年(2009)の賀状

平成20年(2008の賀状)
残念ながら平成20年の年賀状は残されていません。
1年飛んで20年の年賀状になります。なんとなくもったいないことをした思いです。

2020.12.1

平成19年(2007)の賀状

平成19年(2007の賀状
スッキリした絵。
絵の中にかくし言葉がありますが、わかりますかねぇ~

(答は ありがとう です)


無理なお願い:次の平成20年(2008年)の賀状が残されていません。もしどなたか保存されている方がありましたら、Mailで送っていただけませんか。

2020.11.1

平成18年(2006)の賀状

この年は実にシンプルな年賀状だったんですねぇ~
右:この年の11月から始まった「早川加代子のウォルドルフ人形展」と「早川嘉美スケッチ画展」の案内状です。
モデルのふうたん3さいが今では18歳ですからねぇ~

2020.10.1

平成17年(2005)の賀状

欲張りな年賀状ですねぇ~ 水彩画ウォルドルフ人形の紹介 新春セミナー NHK文化センターでの自己開発セミナーの案内と盛りだくさん。 若かったのですねぇ~
しかも2種類も残されています。

2020.9.1

平成16年(2004)の賀状


パズル賀状の最終回?? 次回からいよいよへぼ日曜画伯の水彩画が始まりますよ!
乞う ご期待! だぁれも期待してなんかいないか!

2020.8.1

平成15年(2003)の賀状

左:始めたばかりの水彩画と真剣に向き合っていました。がんばっていましたねぇ~
右:日本連珠社理事長として、活発に活動する地域を表敬することを大切にとらえていました。その時のスナップからー。浜松にお伺いした時の模様です。

2020.6.1

平成14年(2002)の賀状


平成13年の年末 新たなライフワークとなる水彩画に踏み出そうとするスケッチが始まりました。 えらい胴長のお不動さんであり、足の形もさっぱりわからない、線もオドオド、形ばかりにとらわれていますねぇ~  これでも天にも昇るほどいい気分で〈描けた!〉と雀躍してたんですよ!
こんなすっとぼけたところで喜んでいたから今日があるんですよ‼

2020.5.1

平成13年(2001)の賀状


この年8月、第7回連珠世界選手権京都大会を華々しく開催することになっていましたが、資金も運営にあたる人材にも全くめどがたたず、苦難の多い、頭を抱えての年明けでした

2020.4.1

平成12年(2000)の賀状

左:近畿税理士会東山支部長を担いながら、社団法人日本連珠社理事長として
連珠命名100周年記念事業」を展開。ラトビアから、アンドゥ・メリティ世界チャンピオンを迎えて、中村茂名人との6番勝負の大イベントを世界の仲間を巻き込んで挙行しました。
すごいエネルギーがあったものですね。今は昔の感があります。

右:「連珠」は明治2年12月6日、当時の新聞「萬朝報」(黒岩涙香総監)において発表されたもの。

2020.3.1

平成11年(1999)の賀状

:前年度に25周年を迎えた時の最高の笑顔!でご挨拶。
:毎年パズル年賀でご挨拶をしていると単なる写真ではブーイングが届くのです。これに応えるため、パズル年賀も用意していました!
:近畿税理士会東山支部長、日本連珠社理事長として大忙しの年を迎えようとしていました。
この上に「第7回連珠世界選手権北京大会」には早川嘉美選手として出場(8位)、
秋には「連珠命名100周年記念」 として、ラトビアとエストニアから世界チャンピオンを招待、
日本の第一人者・中村茂名人との六番勝負を企画実施したのでした。
若かったのですね。我ながら信じられないパワーが宿っていたのですね!!

2020.2.1

平成10年(1998)の賀状

恥を忍んでとんでもないドチョンボを紹介しましょう。

:当時は社団法人日本連珠社の理事長の要職にあり、税理士東山支部等でも活発に活動して
  いましたから、賀状の送付も半端じゃなかったです。
  大量の賀状をプリント、1枚の失敗もなく終えホッとしたところ…。
  なにか違和感が漂って仕方がありません?? そしてアッと声をあげてしまいました
〈干支〉にライオンはいませんよね! 
〈ライオン〉と〈とら〉を取り違える大チョンボでした
:刷り終わった賀状を全部交換に出して、再度プリントして事なきを得ました!

2020.1.1

平成9年(1997)の賀状=この年は4種類もありました=

前回に続き平成9年度の賀状。この年は4種類も使い分けてお届けしていました。

:10年来の構想を『変身そして創造』にまとめ出版しました。
  人生54年の学びの集大成です。
  いまなお、褪せることのない主張だと思っています。自己満足でしょうか?
  在庫はいまだにどっさりあります。
:連珠の問題です。
  京都新聞への出題は今も続いており、今年の4月には担当して50年になりました。
  毎週土曜日、夕刊です。一度ご覧になってください。

2019.12.1

平成9年(1997)の賀状

日本連珠社の理事長に就任して2年目。まるで理事長の就任をお祝いするように、もっとも 気にかけていた京大OB・河村典彦九段が見事に名人位を獲得してくれました。
新年早々、その就位式をインターネットで結んでの公開対局の予告が記されています。
当時はリアルタイムでの対局はどの斯界もできない現状でしたので、
京都―ラトビアを結んでの公開対局は社会的大ニュースとして大きく報道されました。
 大々的に報じる各紙誌の報道
       ⇒ クリックでジャンプします
河村典彦氏は、現在日本連珠社の理事長として現役で活躍してもらっています。

2019.11.1

平成8年(1996)の賀状

左;社団法人日本連珠社理事長に就任したご挨拶となっています。この頃の私は税理士と連珠の国際普及は同等くらいの入れ込みようでしたからねぇ~
2回目の中国普及の旅での一コマ。一気に花開いているのを感じました。民族対抗戦や誕生したばかりの平安生命の連珠部顧問に就任を要請されたのも懐かしい。
  生命保険会社に連珠部が組織された理由が楽しい。共産圏で生命保険という発想がなかったそうで、これを一般大衆に認知されるためには、今人気でブームを起こしつつある連珠に乗って普及に努めようという発想だったらしい。連珠で世界選手権の代表にでもなれば、夢の海外旅行も夢でなくなる。ヨーイドンで始まった新興勢力だからだれにでもチャンスがある。ですから、ものすごい熱意でしたよ。競技会に父兄同伴は当たり前。真剣に声援を送っていましたよ。遠い昔の思い出です。

2019.10.1

平成7年(1995)の賀状

かなり手ごわいパズル。結構評判をよんで某クラブから「広報誌に掲載させてもらっていいですか?」の問い合わせがありました。もちろんOKしましたがね。

2019.7.1

平成6年(1994)の賀状

「税理士」と「連珠」 どちらもフル回転していた時期が当分続きます。
左;お絵描きロジック きれいに仕上がりますよ!
右;京都・平安建都1200年の祝賀の年を迎えて「建都1200年記念 連珠国際大会in KYOTO」の予告をしています。がんばっていましたねぇ~

二つ並べて掲載すると左の問題はなぁ~にも考えないで解けちゃいますね???
どうしてだかわかりますか?

2019.6.1

平成5年(1993)の賀状

「税理士」と「連珠」 どちらもフル回転していたころの賀状です。
左:この年の3月1日に開設20周年を迎えると記されています。
右:6チャンネル(朝日テレビ)5時台の「うおんてっど」にゲスト出演します。と案内しています。超売れっ子になる直前のトミーズやハイヒール桃子、寛平ちゃん、ミスターオクレ、ジミー大西らと5~6回はご一緒したですねぇ~

⇓ テレビ出演中のスナップ。握手の相手は、トミーズの雅さんです。

2019.5.1

平成4年(1992)の賀状


左「連珠」

右「パズル」

この年は2種類制作しています。

左:「連珠」の世界普及に全身全霊をかけているときでもあり、1994年のKYOUTO建都1200年に向けて「建都1200年記念国際連珠大会京都」の烽火をあげたことが記されています。

右:連珠関係者以外には人気が出始めたパズルでの新年ご挨拶です。

2019.4.1

平成3年(1991)の賀状

クイズを解くと新年のご挨拶が現れる仕掛け。 でも、27年ぶりに考えると自分の創作した問題にもかかわらず大苦戦。ほうほうの手でこたえを得ました。

ヒント=羊(ひつじ)生まれの4周り目の年男だったんです。

2018.12.1

昭和64年(1989年) 平成2年(1990年)の賀状


昭和64年

平成2年
昭和64年の賀状

この年もプリントゴッコが続いています。
この前年の8月8日、連珠国際連盟(RIf)を誕生させ、副会長に就任。第1回連珠世 界選手権京都大会に向けて準備に入ったことを記しています。 44歳 若かったからこその無謀計画を実行してしまうのですから、若いことはすごいです。


昭和56年の賀状

柔軟な思考で経営にあたりましょう とクイズを記していますが、答えは何だったのかなぁ~
難しい!とよく言われますが、ホント 難しいですね。

2019.2.1

昭和63年(1988)の賀状

この年もプリントゴッコ。
「柔軟な思考で経営にあたりましょう!」というメッセージと共に、京都新聞に「ふぁんたじーパズル」を連載中とあります!! やっぱり歴史を感じますねぇ~ 
ひとつ紹介してみましょう!(右の図) このようなノートが20数冊残されていますよ。

2019.1.1

昭和62年(1987)の賀状

まるっぽパズルの年賀状。
少しプリントが不鮮明なので問題を記しておきましょう!

  • お正月に関する言葉が隠されています。
  • ↓↑←→ですべての言葉をみつけて下さい。いくつかの文字が残ります。その文字を上の段から読み下して下さい。
  • 新年のメッセージが現れます。

時代を感じますねぇ~ 当時流行したプリントゴッコによる制作です。

2018.12.1

昭和61年(1986)の賀状

「あけましておめでとうございます」は手彫りゴム版です。。
質問が読みづらいので補足しておきましょう!
「3つの数字をたして、62をできるだけ多くつくって下さい。うまくいくと1つだけ残ります。その時ハガキをひっくり返してその数字を当ててください。」
これぞ 早川流の本格パズル。知的で素敵な問題と自負するところですが、1回きりしか使えないのがつらい。
ヒント → 質問に答えあり!!

2018.11.1

昭和60年(1985)の賀状

昭和60年の賀状(2種)

左/本格的なパズル賀状の登場! いまではパズル賀状を待っていただける方が結構おられ、「難しい!」が多いとお叱り?を受けることも多々あります。

右/加代子作のクロスワード。加代子作はこの年1回きりです。

2018.10.1

昭和59年(1984)の賀状

ファミリー全員(5人)の合作によるパズル賀状
→←↓↑とナナメ四方向も加えて「チューチュー」「チュー」を読む問題。
「チューチュー」3点、「チュー」1点 最高は何点でしょうか?
結構 頭の体操によさそうですね。

(34年ぶりに解いてみましたが、48点にもなりました。)

2018.9.1

昭和58年(1983)の賀状

 

左:昭和58年度
 「連珠」の国際普及の第一歩、スウェーデン、デンマークに出かけた翌年と会って、
 もっとも苦手な英語を使ったパズルの登場です。

右:昭和57年度
 実はもう一つの賀状もありました。よくまぁがんばっていたものですねぇ~
 我ながら驚きです。

2018.8.1

昭和57年(1982)の賀状  どういう訳か2種作成したようです。

どういう訳かこの年は2種類を考案したようです。従って先月掲載と同じ年度になります。
問題を解かないと新年のあいさつが出てこないのはやっぱりユニーク。これで一気にパズ ル作家の印象を持たれ、「毎回楽しみにしています」の声がかかる様になりました。

2018.7.1

昭和57年(1982)の賀状

昭和57年度になるとパズルだけです。意外と面白いですよ。ぜひ解いてみてください。

2018.6.1

昭和55年(1980) 昭和56年(1981)の賀状


昭和55年

昭和56年

昭和55年の賀状
 この年も連珠に興味のない方には面白みのない賀状。でもなかなかの佳作ですよ!

昭和56年の賀状
 そろそろもう一つの趣味に昇格?するパズルが顔を出し始めました。
 四色図絵 どんな複雑な絵柄も同じ色を接しないで、4色で塗り分けられるのをご存知ですか?

2018.5.1

昭和53年(1978) 昭和54年(1979)の賀状


昭和53年

昭和54年

連珠に興味のない方には何ら面白くない賀状ですね!
この頃から「連珠」の世界普及を目指すというとてつもない夢を膨らませ、モスクワのウラジミール・サプロノフさんと手紙による対局を行っていました。
ホンキが芽生えるのはもう少し先になりますが…。

2018.4.1

昭和51年と52年の賀状


昭和51年

昭和52年

左/このパターンがしばらく続きます。
  文字は自筆ですが、ゴム版は49年度を最後に卒業(?)していますね。

早川光勝(はやかわ・こうしょう)とあるのは、当時使っていた珠号です。この直後から、RENJUを世界に!の夢に向けて歩み始めることになり、海外では「KOSHU」「KOSHO」と呼ばれて人気者だった(?)ですよ。
なおまた、※勝は連珠界では結構由緒ある号で、父の師匠が石田最勝、その門下生が早川美勝(びしょう)、松井互勝(ごしょう)、辻千勝(ちしょう)らで、兄は少しの間、早川輝勝(きしょう)を名乗っていました。

右/年賀状にパズルをとりいれた第1号。

SYOWA + 52NEN = GASYO   (注 E=5)
いわゆる覆面算というものですね。結構難しい。
最近はこういったものはあまりやらないんですかねぇ~

2018.3.1

昭和50年の賀状

もっとも簡単な問題ですが、勘違いをしてアレッ!出題ミスでは?と焦りました。
地力としてはおそらくもっとも血気盛んなときだったのでしょう。日本1に王手をかけたころでもあります。(全日本十傑戦最終局を残してトップに位置にいた。最終局に負けて2位。)
直後にソビエトのウラジミール・サプロノフ氏と運命の出会いがあり、連珠を世界に広げるという途方もない夢を描くことになりました。

2018.2.1

昭和44年と49年の賀状

昭和44年の賀状。いかにもあっさりした賀状ですが、丁寧に彫っていたころが懐かしくもあります。
昭和49年の賀状。46~48年が残っていないのが今となっては惜しい! 文字も絵柄もゴム版彫りですが、印刷機にかけた手抜きが始まっています。


昭和44年

昭和49年

今年の賀状は ⇒ リンク

2018.1.1

昭和43年の賀状

結婚初年度 色気のない賀状かな。連珠の問題シリーズが長らく続くことになります。
とはいえ、よく頑張ってほっていたものです。

2017.12.1

昭和40年と42年の賀状

昭和40年はあっさりしたゴム版画。文字は達筆な字を書かれる先輩に書いてもらった記憶がします。それにしても根気よく彫っていたものですね。左の賀状。
惜しいことに41年は残っていません。42年、右の賀状は独身最後の年。はや人生の大半をかけてきた(かってですが)連珠のはじまりです。されにしても頑張って細かい作業をしていますねぇ~

   

2017.11.1

昭和39年の賀状

第1回目は、昭和39年、20歳の時の賀状。サラリーマンを辞め、税理士に向けて第一歩を踏み出し2ヵ月目です。ゴム版彫による制作です。

2017.10.1