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「連珠を世界に!」ロマンの旅 5

国際交流の第一歩 いよいよスウェーデンへ

指導普及へ明るい展望
日本のルールで大会も スウェーデン

「連珠」?それは京都を発祥の地に、庶民文化として育ち、わが国独特のゲームに定着、発展してきたもの。しかしまだまだ日本の域を出ず、同じ東洋の近隣各地でも、全くといってよいほど普及していないのが現状だ。ところが遥か遠いヨーロッパの諸国で、すでに連珠がゲーム化し、日本のルールを採り入れて選手権大会まで開いているところがある。伝え聞いた社団法人日本連珠社では、このほど早川嘉美副理事長らをスウェーデン、デンマーク両国に派遣し、手を差し伸べ正しい連珠道の指導かたがた、歴史のある囲碁の世界大会のような国際的連携が実現できるかをどうか模索してきた。そしてその展望は、想像以上に明るいようである。

早川嘉美レポート

「連珠」の国際普及のため、この1日(注・1982年12月)に日本を立ちスウェーデンを5日間、デンマークを1日訪れ、11日夜に帰国した。さて連珠は、世界各国に浸透しつつあるが、残念ながら「五目ならべ」が先行し、その呼び方も国々で異なっている。スウェーデンでは「ルファチャック」、デンマークでは日本名通り「ゴモク」、ソビエトでは「クレスチキノーリキ」、フランスでは「モーピオン」というありさま。これが「連珠」となるとからきしで、スウェーデン、ソビエトの2ヵ国で大きく取り上げられているほかは、細々と打ち継がれているにすぎない。

写真はザール氏に指導を行う筆者。デンマークにて。
写真はザール氏に指導を行う筆者。
デンマークにて。

これはわが国自身の連珠に対する認識の低さが、禍しているのではなかろうか。せっかく日本に育ったこの素敵な盤上ゲームを、大切な庶民文化としてもっと温かく見つめていく目があれば、どんどん世界に拡がって、国際交流をエンジョイしていくものと思う。事実、彼らは日本を「好きだ」とハッキリ言ってくれたし、全スウェーデン・ルファッチャク連盟(1961年設立、代表アルフ・ドールグレン氏)の本部にも、デンマークのトーベン・ザール氏(43)=大学教授=宅にも、日本のカレンダーなどを飾って、日本を親しく感じてくれていた。

ザール氏は会談(会談といっても語学がからしきなので、主に筆談によった)中で、「連珠はとても面白いゲームです。なぜ日本はもっと世界に拡げようとしないのか?“五目”ではとても惜しい。世界のだれもが楽しめる素晴らしいゲームなのに…」といっている。

なお、スウェーデンだけではなく、各国とも連珠と五目並べを明確に使い分けており、連珠は「RENJU」と表し、珠型、用語も日本名で表現している。

=地元紙に大きく報道される=
=地元紙に大きく報道される=

ところで、スウェーデンでの5日間は、心温まる歓迎を受けた。2日間は「第1回スウェーデンオープン国際大会」にあてられたが、その合間に指導対局や歓迎夕食会をもってくれた。この国際大会をプロモートしたトミー・マルテル氏(35)=高校教員=の恐ろしいくらいの情熱と愛情、それに威厳に満ちた人間性が、すごい力となってスウェーデンに連珠を植えつつある。彼らは等しくわれわれ連珠家を通して日本に最大の関心を示し、教育、文化にも目を向けている。こうして5日間は、指導対局や大会でのわれわれの主だった対局、さらには食事風景までビデオに収録する気の入れようであった。

この大会には、日本から筆者を含め3名が参加。

順位は(1) 田中忠義五段(29)=東京=7勝1敗1分け、(2) 筆者・同(1敗は田中五段に敗れたもの)以下、イングラ・スンドリング(29)=酒店経営=、オウラ・コーリエン(16)=高校生=、ステファン・メラー(19)=専門学生=、本田正石(81)=東京=、トミー・マルテル(35)=高校教員=、ステファン・ヤンソン(19)=学生・スウェーデンチャンピオン=、トード・アンダーソン(24)=大学生=、ヨルマ・キャピネーン(29)=会社員=。

これを見ても職業、年齢ともバラエティに富んでいるのをお分かり願えるだろう。

楽しみにしていた女性ファンだが、数は少なく今回は最強のカリスティ・カールソン嬢には写真でやっと対面しただけ。

1982.12.16『京都新聞』

(社団法人日本連珠社副理事長、同京都支部長、八段)

以下次号
〈デンマーク トーベン・ザールさんのメッセージ〉(当時のメモから)
・私は素晴らしいゲームだと思う。国際にコミュニケーションを図れるゲームである。
・英語の本は、多くの世界の人にとってとてもよい。メニメニピープルに広げれば、世界のコミュニケーションを図れることができる。
・先生を22年やっている。