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連珠を世界に! ロマンの旅54

第8回連珠世界選手権京都大会 レポートⅢ

長い間お付き合いいただいた「連珠ロマン 世界普及の旅」は今回で最終回とさせていただこうと思う。
最終回を機会に、初回の「プロローグ」に目を通してみたが、すこぶる単純明快、難しい言葉やひねくれた気持ちでのスタートでなかったことは幸い。実に新鮮な気持ちで読むことができた。
総括などはいつの日か、気が向けばウラ話やエピソード、感動の数々などとともに取り上げてみたいと思っている。
さて、それはいつの日になるか? 私自身にもまったく当てがないが…。

なお、このシリーズでは全く触れていませんが、次の世界選手権が次々とスタートしています。
1996年 チーム世界選手権戦
1996年 ユース世界選手権戦
1997年 女流世界選手権戦
そして、世界選手権戦は、03年スウェーデン、05年エストニア、07年ロシア、09年ロシア、11年スウェーデンと転戦して開催されている。
  *詳細は日本連珠社 → http://www.renjusha.net/
さて今回は第8回連珠世界選手権戦と併催して行われた「京都オープン(B級トーナメント)」と「ブツッツ大会(持ち時間の短い早打ち戦)」の成績を掲げ、報告誌に掲載されたすべての棋譜から、各棋戦をちょっぴり紹介しておこう。
そのあとにこれも報告誌に掲載された私の家族の大会始末記を紹介して結びとさせていただくことにしたい。これがもっとも端的な私ども家族が連珠とかかわりであった総括のように思うからである。

第8回連珠世界選手権京都大会レポートⅢ

第8回連珠世界選手権京都大会レポートⅢ

第8回連珠世界選手権京都大会レポートⅢ

第8回連珠世界選手権京都大会レポートⅢ

第8回連珠世界選手権京都大会レポートⅢ

第8回連珠世界選手権京都大会レポートⅢ

第8回連珠世界選手権京都大会レポートⅢ

第8回連珠世界選手権京都大会レポートⅢ

私の世界戦  早川光志

私の世界戦  早川光志

私の世界戦  溝添勝敏

私の世界戦  溝添勝敏

私と世界戦  溝添美枝子

私と世界戦  溝添美枝子

私の世界戦  早川加代子

私の世界戦  早川加代子

感謝・感謝  大会会長・早川嘉美

感謝・感謝  大会会長・早川嘉美

まったくゼロの状態で立ち往生していた昨秋の頃を思うとき、世界戦がこれだけ大規模、かつ充実でおえられたことは、まるで夢、幻のようです。
昨年秋、資金のメドはゼロ、ロングランを支えるための人材確保にもまったくメドが立たない。加えて、これらをクリアしようと強力に動き始めると、きっと出てくるであろう「早川のする企画には金がかかる」という裏の批判も覚悟しなければなりません。しかし、これをクリアしていくだけの気力充実にはほど遠い状態でした。

20数年にわたって、こつこつと積み上げてきた国際活動の信用を一気に失うことを承知の上で、“全面返上”を本気で考えました。そうすることが良いというのではなく、そうすることしか選択肢がなかったというのが偽らざる心境です。
ところが、これを口に出した時から、何としても実行しようという地から湧くエネルギーでした。「よろしくお願いします」というほど簡単なことではありませんでしたが、まず関西から阪本弘氏・幸子ご夫婦、飯田皓一さん、北本健二さん、土居学さんらが、関東から三森政男さんが全日程を張り付くと表明されたのです。心動かされるとき、決定打となったのは、澤井敏郎さんから「(今大会のために)4年前から積み立てを始めており、6月になったら100万円になるようにしてある」といわれた時であったと記憶します。このままでは、すべての人に見放されてしますという恐怖と、喜びの入りまじった気持ちで、再びGoサインを出しました。

しかし、これからも長い月日でした。資金はそれほど思うように集まらない。というより、私自身に言行一致の行動がともなっていないから、迫力ある伝わり方にならない。自分でも情けいくらい歯がゆい期間でした。
大会を終えた今、すべてが遠い昔のようにさえ思えます。報告誌の発行資金に不足していることを残し、大会運営費はすべてクリアすることができました。
人材は次から次から集い来て、特に若い方々の迫力ある応援が入ってきた。心配していた通訳は、終盤になって「もう、いらない」(本当はもっと必要だった)と思うくらい素敵な方々が、まるで知己の間柄のような熱意をもってサポートしてくださった。

大会を終えたある日、応援してくれたO君に尋ねてみた。「これからも応援して、一緒にやってくれますか」。帰ってきた答えは「もちろんです。こんな素晴らしい活動ができる世界があったのを知っては、やめられません」。私の一番待ち望んでいた言葉であったように思います。
「地涌の菩薩」 かって、連珠史と取り組んだとき、今は亡き川合平三さんが私に贈ってくださった言葉ですが、今回もつくづくそれを感じます。
記したいことは山ほどあります。またひとり一人に御礼の言葉を伝えたいのですが、誌面の都合ですべて割愛せざるを得ません。皆さん本当にありがとうございました。

(社団法人日本連珠社理事長)

                                         

連珠ロマンを終えるにあたり

第8回連珠世界選手権戦京都大会はこのように大成功裏に終えることができました。
それから半年たった頃、私一代では解決できない厄介な問題が生じました。これをどうしようかと対応を思案しているとき、アクシデントがあってアキレス腱断裂という事態になり2週間の入院を余儀なくされました。そしてとうとう「燃え尽き症候群」に見舞われたのです。
もう11年も昔のことです。

*つい最近、Mくんからメールをもらったが、ロシアのニコノフさんからのメッセージが記されていました。
 「早川さんが普及されていた時は、連珠”道”を教えてもらっていた。ロシアの選手もそれを理解し実践していた。しかし、最近は連珠は単なるゲームとしか捉えていない。魂をこめた普及ができていない」
 燃え尽き症候群の大きな要因ともなった一因をズバリ指摘された思いです。それとともに、私の思いは十分に伝わっていたのだなぁーと感傷にふけったものです。

ではまた機会があればお目にかかりましょう。
ご愛読ありがとうございました。

2012.11.1記