「連珠を世界に!」ロマンの旅 41
インターネットを駆使 京都ーラトビアを結んでのネット対局
各界に先駆けて実施!
今から15年前(1996年)の1月14日、京都とラトビアを結んでインターネットによるリアル対局が各界に先駆けて実現した。
私が日本連珠社理事長に就任した時、ファクシミリによる対局を提案。構想はこうであった。
京都とスウェーデンを結んで、5対5の対局を行う。ファクシミリなら、5局一度の送信が可能であり、コストもほとんどかからない。ほぼリアルタイムの対局も可能である。
成功すれば、ロシア、アメリカは元より青森、熊本を結んでの対局にも広げていきたい、と。
だが、この構想に仲間から総スカンを食った。ではどうするのか。これに対する対抗案がインターネットでの対局であった。
「いまや時代はネット時代に入ろうとしている。プログラムを開発して、ネットによるリアルタイムの対局ができれば、大変なアッピールになる」とうわけである。
いまでこそ、ネット対局は日常ごととなっているが、当時は一手ごとに送信し、これを返信する、いわば、ネットを利用しての「郵便対局」であり、リアル対局は夢のような話であった。
かくて西園典生六段をチーフに、太田剛六段、大井耕三五段が全面協力して取り組んでくれることになった。
初めての取り組みとあって、幾重にもあった難関をクリアして、河村典彦第33期名人就位式で公開対局にこぎつけた。
このビッグ企画に報道各社が飛びついた。当日の会場は、読売新聞、朝日新聞、毎日新聞、産経新聞、中日新聞、京都新聞、共同通信など、大変なものであった。
紙面を飾った報道をご覧いただこう。
この企画は、私の理事長としての外へ向けての初仕事、河村名人の世界選手権奪還のニュースで各社が取り上げた直後、そして何より、ネット時代の到来の先駆けのアピールも大きく、西園くんのSEとしての腕の見せ所、という要素がうまく絡み合った上に、ホテルを使って一般に公開したスタイルで催したのが大成功に結びつけた。マスコミ各社はもとより一般来場も多く見られました。
今では、いとも簡単にネット対局ができるようになっている。技術の進歩に格段の思いがあるが、西園くんらの連珠の普及・発展に寄せる熱い情熱は忘れないでおきたいものだ。
余談ながらこの催しの直後、UOSフェア(IBM協力ソフトウェア会社のグループ)から、インターネット公開対局の依頼が舞い込んだ。希望はアメリカを結んでの対局であった。これをまたクリアしたのであった。
終了後、関係者による抽選会が催され、1等賞は最新のIBMパソコン「アクティバ」
なんとこれを見事に引き当てたのでした。
京都新聞の詰め連珠の連載がいまなお続いているが、ワンポイントレッスンといった楽しい記事を執筆したのもこの頃です。詰め連珠の連載は現在、毎週土曜日の夕刊に掲載されていますが、私が父から引き継いだのが24歳のときですから、何ともう44年にもなります。
出題数は少なくとも2000題を超えているとはすごいですねぇ~。
大阪南港にあるATCエイジレスセンターで連珠の常設会場を開かないか!というとてつもない企画が持ち込まれました!