連珠を世界に! ロマンの旅48
第6回連珠世界選手権北京大会 アンドゥ・メリティ(エストニア)二度目のV
第6回連珠世界選手権北京大会は、1999.7.3~8.5、新興著しい中国北京・温特菜酒店で開催された。
これより7年前、河村芳邦副総裁(当時)の旗振りで「連珠の井戸掘り」(河村先生談)に出かけて以来、連珠の普及に努めてきたがこんなにも早く素晴らしい成果が出るとは思いもよらないところであった。すさまじい発展振りである。
この大会、アジアで先に連珠の広がりをみせていた台湾の参加が、国際情勢と絡まって受け入れられるかやきもきしたが、連珠国際連盟(RIF)の存在が決め手になって、なんとか認められたのも話題のひとつであった。
もう一方の話題は、私個人的になる部分が大きいが、大会会長や日本選手団を統括してきた早川がなんと選手として出場したことである。
躍進中国の推進者・那威さん(大会会長)から「早川先生は選手でなく役員だけできて欲しかった」と言われもしたが、私とて実戦が好きでこの道に入った者として、与えられたものならば出場してみたいという気持ちも強く、予選を勝ち抜いて得た権利を辞退せず、出場に踏み切ったのだった。
開会式では、囲碁界で著名な陳祖徳さんらに続き、中国普及の功労者としてスピーチする機会が与えられ、対局開始直前までプレイングマネジャーとして動くことになった。
本来の私は1局集中タイプなので少しでも早く対局モードになりたいのであるが、そんなわがままも言わせてもらえない。結果は実に不思議な現象を巻き起こし、この大会の世界チャンピオン・アンドゥ・メリティをして「世界のプレイヤーでもっとも奇妙な選手」と言わしめたものである。
それらのことは次回に回し、今回は熱烈歓迎振りと我々がいかに国際親善に思いをかけてきたかを知っていただくため、側面部分だけの紹介にとどめることにした。