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「連珠を世界に!」ロマンの旅 14

スウェーデンに3度目の訪問 1986

このレポートは、1986.8.25 3度目の訪問となったスウェーデン訪問記である。
前回に紹介した「100円基金」によって将来を担う若手超優良株の二人が加わったほか、現・京都連珠会会長の小磯重正五段という強力な構成メンバーである。連珠以外にも多彩な才能を持つ集団とあって、普及活動は幅の広いものになった。

京都新聞の報道から(1986.8.25)

連珠を世界に普及する旅
 急がれる国際連珠連盟の設立
        連珠八段 早川嘉美

スウェーデン国際普及に踏み出してもう5年目になる。隔年交流で3度目の旅であったが、今年もまた素晴らしい出会いがあり、確かな手ごたえをつかむことができ、望外の喜びに浸っている。

私たち一行(監督・達富弘之須知高校教諭)5名は、8月4日に出発してオランダに入った。オランダとは一昨年初めて出会い、ブロマー氏(40)=心理学者=の熱心な働きかけで、日本連珠社オランダ支部が結成されている。しかし、組織はできているものの思うような活動ができず、支援要請がなされていたのである。

旅立つ直前にオランダの将棋チャンピオン・スタウテン氏(27)=化学技士=が京都にやってきて、私たちと親交を深めて帰国、私たちを待っていた。将棋のチャンピオンがどうして連珠を、と少し奇異に感じられるかも知れないが、彼らはどちらも日本文化としてとらえており、なんら違和感がないのである。

京都新聞ビクトリアホテルとスタウテン氏宅で、連珠と将棋の対戦をした。さすがに連珠では相手にならなかったが、将棋を指し、歌のレッスンをして時のたつのも忘れる程であった。2年後には、スウェーデンを交えて3ヵ国で交換会をやろうというところまで話が弾んだ。
こうしたオランダの成果を得て、スウェーデンに渡った。スウェーデンではそろそろ勝つチャンスを狙っている。私たちは日程がはっきりした3ヵ月前から、猛特訓をしたと胸を張っていう。

まずウプサラチームと対戦。17勝7敗1分けと大勝したが、前回のヨンチョピング28勝4敗、ストックホルム15勝1敗を考えると彼らの実力アップを知ることができよう。

メーンのストックホルムサマートロフィ連珠大会は、結果的に1位西園典生四段(29)、2位・筆者、3位・河村典彦四段(21)と上位を独占して面目を保ったのは幸いであった。

今回の10日間の旅で、大きな収穫はもう一つあった。スウェーデン日本人会(笠島洋二会長)との交流である。懇親会の途中から連珠を始め出す方もあり、日本人会の中に連珠クラブをつくろうというところまで話が発展した。「ひと通り練習してからスウェーデンの方に親善試合を申し込みます。私たちはスウェーデンの方々とどうしたら仲良くなれるか苦心してきたが、こんなに身近に親しくなれる方法があったとは…」と手放しの喜びようであった。スウェーデンと在ス日本人会との対抗戦に発展したなら、どんなに楽しいだろう。

愛好者3000人とも4000人ともいわれ、都市対抗まで催されている連珠王国・ソビエトから国際連珠連盟の設立を督促されている。スウェーデンはいち早く賛意を表しており「なぜ日本はOKしようとしないのだ。ベルギー、西ドイツにも愛好者がいて、世界に広がるチャンスなのにー」と手厳しい追求にあった。「少し待って欲しい」というのに本当に困った。確かにフランスでも連珠書の出版、連珠教室の開設がすすめられている。

まったく残念であるが、OKを出すにはわが国の受け皿があまりにも貧弱すぎる。“五目並べ”という蔑(べっ)視が大きく原因している。我々の努力が不足していたことも強く感じているが、世界の誰もが、習ったその日から一緒になって楽しめ、かつ、くめど尽きることのないゲーム「連珠」。これが世界共通のゲームとして発展したなら、国際親善にどれほど役立つかはかり知れない。

連珠を世界に! 連珠を通じて世界の方々と握手をしよう!私たちの掲げる夢は果てしない。皆さまのご支援を期待してやまない次第である。

(連珠国際交流団団長)

次回予告
次回は、スウェーデン訪問前におけるオランダとの交流のもようと、スウェーデン滞在中におけるスウェーデン日本人会との交流のもようをお届けしたい。