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「連珠を世界に!」ロマンの旅 9

前回、前々回は、スウェーデンから来日されたトミー・マルテルさん(後の連珠国際連盟初代会長)の行動を追ってみた。が、重要な誤りに気付いたので、今回は少し日をさかのぼることになるのをお許しいただきたい。

82年12月、我々がスウェーデンを訪問したと知るや、ソビエトの連珠ファンから大ブーイング巻き起こった。理由は次によるものであった。

「我々(ソビエト連珠協会)が先に交流を続けてきており、国際交流に果たした功績が大きいのに、なぜスウェーデンに肩入れするのか。ソビエトにも来るべきである。」
というものであった。「無視するのなら、連珠の活動を止める」とまで書いてくる激しさであった。

これを受けて、私どもはソビエト行きを計画。参加者を募ったところ、4名がこれに呼応して、実行段階に移った。友好一筋のスウェーデンと違って、論戦を好むソビエトと取り組むためには、参加者の意思統一が必要と合宿までもって、査証(VISA)の届くのを待ち続けた。合宿までして意思統一したの目的を紹介しておこう。

・連珠に対するこれからの指針確立
・連珠用語の統一と英訳
・国際交流の本格化に向けての意見調整

ところが、待てど暮らせどVISAが届かない。今のように、FAXもMailもない時代であり、ペレストロイカ以前の話である。このため、ソビエト行きはあきらめ、郵便による対局を打診したところ、これが歓迎されて、国別通信対抗戦に急展開したものである。

都市を基本として1チーム4名(補欠2名=わが国でいう補欠とは違い、補欠選手はどこのポストに参加してもよい)、1ヶ国3チームまでとした。
エントリーしたのは、ソビエトからモスクワ・リガ・キエフ、スウェーデンからストックホルム・ウプサラ・スマーランド、日本から、京都・関東・阪神の9チーム54名である。

マスコミ関係にも積極的にアッピールしたところ、各紙が大きく取り上げてくれた。地道な活動と積極的なアッピール、これを調和させながら進めないとマイナーなゲームである連珠を取り上げてもらえることは、まずなかろうと考えたのである。
世界普及を目指すには、わが国での認知度も高めておかなければならない。国際普及に当たって、もっとも大切にしてきた最重要課題である。

以下は新聞報道を紹介しておこう。

「連珠国別大会始まる」 京都新聞=1983・5・20

日本生まれの庶民のゲーム「連珠」を世界に広げ親交を図ろうと、京都の連珠愛好家が国際試合を計画、日本、スウェーデン、ソ連の3ヵ国チームが参加して、郵便による第1回国別対抗戦がこのほど始まった。対戦が全部終わるのは来年末という気の長い国際試合だが、関係者は「これをきっかけに国際ルールを確立させてゆき、将来は日本に集まって本格的な大会を」と意気込んでいる。

企画したのは、社団法人日本連珠社副理事長・京都支部長の税理士早川嘉美さん(39)、連珠八段。昨年暮れ、連珠普及のためスウェーデンを訪問、今度の通信戦を提案した。その後、ソ連、デンマーク、ブラジルなどの愛好者にも呼びかけていたが、とりあえず準備の整った3ヵ国でスタートすることになった。

今回は、4人1組のチームが各国3チームずつ参加し、日本連珠対局規定に基づき、リーグ戦で順位を決める。着手は航空便で相手にて伝えるが、1局に40、50手かかるので、全試合の結果が出そろうのは来年末になりそう。日本からは京都、関東、阪神の愛好家がそれぞれチームを組んだ。

「連珠 棋譜を交換 世界で競う
のどかに1局に最低半年 京の愛好家呼びかけ」 読売新聞=1983・1・3

【京都】五目並べに本格的なルールをつけ国際的に普及させようー。京都の連珠愛好家が、こんな願いを込めて今春から初の「通信連珠国別対抗戦」をスタートさせる。国際試合といっても、一手ずつ棋譜を航空便で交換するため、1局に最低半年、協議終了までに1年半もかかる。連珠は世界的にファンが増えており、主催する日本連珠社京都支部では「将来は参加者全員が日本に集まり、大会が開けるようになれば…」と夢を広げている。

企画したのは、同支部長の税理士で連珠八段早川嘉美さん(39)ら。早川さんの話によると、ここ2、3年北欧諸国やカナダなどを中心に連珠人気が急上昇。ソ連やスウェーデンでは、連珠社を結成、定期戦を開いている。

日本旅行者らの教えた「五目並べ」が口コミで広まったものらしいが、五目並べにあきたらなくなった一部ファンが日本から連珠ルールを取り寄せるなどして腕前もメキメキ上達。現在は、ソ連とスウェーデンに二段3人、初段5人の計8人の有段者がいる。

早川さんは12月、スウェーデンを訪問、初めて現地の連珠ファンと交流したが、多くの人たちが本場の連珠に接したがっていることを知り、通信国際戦を提案したところ、快くOKの返事。早速対局規定を作って現在、ソ連など他国にも呼びかけている。

規定によると、チームは都市単位で構成、1国3チームまでエントリーを認める。1チーム6人(うち2人は補欠)で、競技はリーグ戦で勝ち点にしたがって順位を決める。スタートは4月1日。航空便とはいえ一手のやりとりに最低1週間かかるため、終了は84年9月末としている。

早川さんは「向こうには日本の名人戦の棋譜を取り寄せて研究したり、連珠だけを目的に独学で日本語をマスターしたという強豪もいる。通信戦は、今後毎年行い、将来はチェスのように選手が一堂に会して国際大会が開けるようにしたい」と話している。

連珠と五目並べ
五目並べが単に石を五つ続けて並べることによって勝負を決めるのに対し、連珠は先手と後手に有利不利がないように種々のルールを設けている。日本連珠社のルールによれば、盤は縦、横15道で碁盤より一回り小さく、黒(先手)にのみ「三々」「四々」「長連」を禁手があり、わが国の愛好者はざっと100万人。

残念ながら、最終結果をまとめられず

華々しくスタートした国際通信戦であったが、まったく交信が途絶えてしまった選手が続出。最終結果をまとめることが出来ずに終わってしまった。残念ではあるが、国際普及に果たした役割はそれなりに評価してもよいと思う。

次に最終確認できた結果をかかげておこう。

結果

朝日新聞から

早川光勝