「連珠を世界に!」ロマンの旅 23
連珠国際連盟の誕生
今回は「連珠国際連盟」の誕生を報じる各紙の紹介で綴っていくことにする。
私どもは連珠国際連盟の結成に旅立つにあたり、マスコミ各社へのPRと訪問を積極的に展開した。また「連珠」だけの国際交流だけではなく、大げさにいえば「日本」の持つ文化性にも訴えて活動を行なった。連珠の真の発展には、我々マニアの世界だけで展開したのでは、薄っぺらいものになると捉えたからである。私が連珠の普及に携わって以来、一貫として主張してきた考え方でもある。
取り上げていただいた各社に対し、今さらながらではあるが、ありがたく感謝申し上げたい。
(なお、今回は当時名乗っていた「早川光勝」の号が入り混じるのをお許しいただきたい)
連珠を世界に
日本・ソ連・スウェーデン・オランダ4ヵ国まず集い 国際連盟が誕生
=京都新聞 1988.8.12
連珠世界大会
発祥の地・京都 来年8月に開催
=産経新聞 1988.8.12
来夏、京で世界選手権
=京都新聞 1988.8.22
連珠を世界に! を合言葉に、日本連珠社が国際普及に乗り出して6年になる。きっかけは、同社京都支部が機関誌15周年としてまとめた「連珠史をもとめて」が機縁となったが、初めてスウェーデンに渡ったのが1982年12月ことである。
当初から国際交流団の監督としてコンビを組んでいる達富弘之さん(44)との計画は、10年をメドに一応の形をつけようということであった。
それがどうしたというのだろうか。ソ連、スウェーデンから国際連盟をつくってほしいと要請されるようになり、その声が日増しに強くなってきていた。
残念ながら、わが国にその機運が高まらず、1年延ばしにしてきたが、ようやく機が熟し、国際連盟の誕生という期待を胸に、8月1日に4回目のスウェーデン行きとなった。
8日、ストックホルムで開かれた日本、スウェーデン、ソ連の3ヵ国会議の席上、出席者が口々に、“連珠を世界に”と言うのを聞き、感無量であった。
会議は午後4時から開かれ、ときには穏かに、ときには激しく意見を交換し、10時半、すべて合意に達し、連珠国際連盟(RENJU INTERNATIONAL FEDRATION 略称RIF)が誕生した。ただちにオランダの加盟が認められ、4ヵ国でスタートすることになった。
呼びかけは、連珠の前身である五目並べを含めて、愛好者が確認されているデンマーク、フランス、西ドイツ、ブルガリア、アメリカ、カナダ、オーストラリアなど各国にされる。
ところで、会議に先立ってストックホルムサマー大会が開かれ、ソ連選手9名が初参加した。日本とソ連とは、初顔合わせであり、3ヵ国対抗となった。
ソ連では、今や有段者400人を抱え、都市対抗が実施されるまでに育っている。筆者が初めてソ連選手に手ほどきをした12年前の愛好者は、たった2人。隔世の感がある。
それはともかく、今はまだソ連選手を打ち負かすことが普及のためにも、RIFの円滑な運営のためにも必要と思っている。従ってそう簡単に負けるわけにはいかない。
記念すべき第1局は、京都の西園典生五段(31)とソ連会長のアレキサンダー・ソコルスキーさん(38)の対戦となり、西園五段が快勝した。結局、1位は京都の河村典彦七段(23)、2位は筆者となり、面目を保つことができた。
さてRIFだが、会長にスウェーデンのトミー・マルテルさん(40)、副会長に筆者とソコルスキーさん、名誉会長に日本連珠社の三上繁太郎理事長を選任したあと、第1回ワールドチャンピオン戦を連珠発祥の地・京都で開くことを決定した。また会報「RENJU WORLD]を来年1月から発行するなども決まった。
対局ルールは、当面、日本のルールで行なうことになった。
こうして待望久しかった連珠国際連盟は誕生した。来年8月には世界の各地から連珠ファンが京都にやってくる。本当の意味の国際交流につながると信じる。筆者の果てしないロマンは、新たな第1歩を踏み出した。資金確保という難問にも真剣に取り組んで、実のあるワールドチャンピオン戦にしたいと考えている。
(早川光勝、日本連珠社国際部長、連珠八段)
以下は、各誌紙の報道で綴っておく。