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「連珠を世界に!」ロマンの旅 7

この稿は、83年9月『夕刊フジ』に連載された「連珠 日本・スウェーデン親善大会」から、局譜解説の部分をカットして紹介することにしますが、つなぎを若干補筆しています。

スウェーデンからマルテル青年来日

トミー・マルテルさん
トミー・マルテルさん

北欧・スウェーデンから連珠の修業のためにひとりの青年がやってきた。
トミー・マルテルさん=写真(後のRIF会長)=といい、スウェーデン連珠育ての親。昨年12月、初の国際対局となった「スウェーデン国際大会」を企画実施。筆者はこの大会にスウェーデンまで赴き、彼らの情熱を受け止めてきたが、これについては前回に触れさせていただいたところである。
このときに再会を固く約してスウェーデンをあとにしたが、このような早い時機に実現するとは思いもよらなかった。

日本滞在中に連珠の指導を受けた外国人は数多いが、連珠の指導を受けるために日本にやってきた外国人は、彼が初めてである。遅ればせながら、連珠も本格的に国際化の時代を迎えたわけだ。

ところで、マルテルさんの来日の目的は「連珠は世界に友をつくるすばらしい頭脳スポーツ。もっと多くの人と楽しみたいのが私の夢です。そのためには、日本の実態と技術を知っておかなくては」というもの。

7月12日来日。13日は本誌「次の妙手」でおなじみの坂田吾朗八段を訪ね、連珠の細部にわたって懇談。
14日都内に見学のあと、15日の「日ス親善箱根大会」に臨んだ。

スウェーデンの連珠界の打ち手として最も魅力あるのが、イングラ・スンドリングとステファン・ヤンソンの両君であるが、なかでもスンドリング君はストックホルムサマーオープン、スウェーデンサマーオープンなど、軒並み優勝を遂げている。
マルテルさんは正直いって、3番手ということになろうか? しかし、これをおぎなって余りあるのが、連珠に寄せる情熱である。

トミー・マルテルさんと奥さんのマーガリータさんと愛嬢、イングラちゃん

マルテルさんは195センチの大男。スウェーデンでは、数学を教える高校の先生。35歳。
今回は奥さんのマーガリータさんと愛嬢、イングラちゃん(8つ)とご一緒であった。このインゲラちゃんがとてもかわいく、今回のミニ国際親善に明るさを振りまいてくれたのは、大変ありがたかった。

なお、この大会には、中村茂名人、磯部泰山九段、石谷信一八段など、日本のトップレベルが大挙参加。中村名人に指導を受けたあとー、
マルテル「どうしたら、そんなに強くなれるんですか?」
中村「10年も続けていれば強くなりますよ」
石谷「私なんか、20年もやっているのに強くなれないよ」のやりとりがあって、一同大笑い。

マルテルさんの来日の目的はすでにお伝えしたとおり「日本の実態と技術を知っておきたい」ということであるが、ルール史に並々ならぬ関心を示した。
かいつまんで説明してみよう。

マルテルさんは子供のころ、ルファチャックと呼ばれるスウェーデン五目をお父さんや学校の仲間とよく打っていたという。そして、ことのほかこのゲームが好きで、実力のほうも圧倒的な勝率をほこっていたそうだ。
しかし、ルファチャック連盟があることは知らなかったそうで、75年1月、ルファチャック名人のアルフ・ドールグレン氏(現会長)に会う機会があり、敢然と挑戦したところ3勝17敗の大敗。ここに至って、その組織を知ったそうである。
その後、猛特訓の成果で、80年にチャンピオンとなる。

このころから、単なる五目並べではゲームとして限界があるという議論が愛好者のあいだでクローズアップしてきたそうである。実に、わが国の120年前と全く同じ動きなのである。
ルファチャックの行き詰まった理由は、完全フリー(三々禁などの禁手を採用しないルール)な形で競技すると、先手勝ちが圧倒的に多いということからであった。これは、わが国において幕末のころ、五目並べから連珠へ移行しようとした動きと全く同じだ。
こういう動きの中で、日本の連珠が伝わり、以後急速に浸透し、早くも5つのビッグ大会が催されている由である。

『夕刊フジ』より抜粋 83年9月

以下次号。