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「連珠を世界に!」ロマンの旅 26

世界選手権戦ポスター苦節8年というより、わずか8年という方が適切のようであるが、世界選手権戦を開催するまでにこぎつけた。本当に奇跡のようなスピードである。
自他ともに認める世界の3奇人(ソビエトのウラジミール・サプロノフさん、スウェーデンのトミー・マルテルさん、そして日本の早川嘉美)の存在なくして語ることはできないであろう。
少し振り返ってみたい。

1981年、世界普及を目指してスウェーデンに渡ろうかどうかをためらっていた時、某氏にご意見をお伺いしたところ、開口一番「止めなさい」と。それは次の事情からだった。
・1回切りで終ってしまうようではダメです。そのための資金は確保できていますか?
・語学が堪能でないといけませんよ。あるいは傍にそういう人を置いていないといけませんよ。できますか?
・各国からの問い合わせに応対できる組織は確保できますか?
・早川さん一人では何もできませんよ。日本連珠社全体で受け止めるようになっていますか?

以上の意見だったがどれ一つ反論できない現実があった。それでも私は動き出した。私を動かしたのは「若さ」と世界に広げてみたいという「情熱」であったのだろう。ただ一人の同調者、達富弘之さんの「ボクも続くから、10年は一緒にやろう!」を頼りに訪スに踏み切ったのであった。
それからわずか8年、世界選手権を開催するまでになるとはまるで夢のような出来事だ。

新聞記事世界選手権の開催に向けてルールづくりから資金確保まで膨大な作業と活動。
開催が近づくにつれ、マスコミ各社へのPR活動をこれでもか、これでもかと波状的に繰り広げた。反応は今ひとつであったが、あきらめずに直前まで活動を展開していたところ、開催を数日前に迫ったある日、朝日新聞社から取材申し入れがあり、京都支社を訪問。熱っぽく支援の要請を行った。その結果、7月31日の朝刊社会面に8段抜きのドデカイ報道が実現したのであった。

これを契機に各社から次々と取材申し込みが入り、応対にてんやわんやとなった。

・新聞社 朝日新聞 毎日新聞 読売新聞 産経新聞 
     京都新聞 中日新聞 共同通信 時事通信
・テレビ NHK 毎日テレビ 朝日テレビ 関西テレビ
     読売テレビ 近畿放送
・その他 フライデー プレイボーイ イグザミナ ウインズ

今回は前夜祭までを取り上げておこう。

新聞記事

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第1回連珠/五目世界選手権戦
歓迎のことば
社団法人日本連珠社総裁
第1回連珠/五目世界選手権戦実行委員会
名誉総裁 田中龍夫

第1回連珠/五目世界選手権戦ご出場の皆さんとRIF連珠国際連盟関係者の来日を心から
歓迎いたします。

わが国で生まれ育った連珠が皆さんの理解を得て、今では広く世界の方々に親しまれていることを確認できる喜びでいっぱいでございます。既にご存知かと思いますが、わが国には、碁・将棋が国民の間に定着していますが、連珠はより一般に親しまれたシンプルかつ造詣の深いゲームであります。250年の歴史の中で、ルールの変遷は多岐に渡ってきましたが、RIF連珠国際連盟のご尽力により、世界統一ルールの整備がなされ、ここに第1回連珠世界選手権戦が行われることになりました。
こうした大衆に親しまれた競技が、世界各地において統一ルールで親しまれれば、これはまさに国際友好にとっても快挙というべきであります。
今回の催しを機会に、さらに多くの国々に広がっていくことを祈念いたしますとともに、世界戦出場の皆さんには、体調保持に留意され、日頃の研さんを盤上に遺憾なく発揮されますよう期待するものであります。

最後に、連珠国際連盟のトミー・マルテル会長をはじめ、各国リーダーの皆さんに深く感謝申し上げ、歓迎のご挨拶といたします。
   1989.8.1

(第1回連珠/五目世界選手権戦プログラムより)

Dear Renju-players of the World
President of Renju International Federation
Tommy Maltell

When I was younger I used to play Go-moku with my parents and in school. I was very enthusiastic for the game but I was sorry because I could find no books on the game in Sweden and I did not know about serious playerasor clubs. The firsy time I heard about serious players was in 1975 and at that time Alf Dahlgren, onethe biggest enthusiasts in Sweden, started more serious competitions in Sweden. However we knew nothing about serious playing outside Sweden.Therefore I became very interested and surprlised in 1978 when a rumour got abrord in Sweden that there were serious Go-moku players in Japan.

I made may best to get in touch with these players but it was not so easy. At that time I did not know about the serious name of Renju for the game. However after some fruitless attempts at last I got in touch with Mr Wataru ikawa, who
informed us about the rules of renju and why we should play renju instead of Go-moku. Some years after the contact wish Japan we also got in toush wish the USSR- players and after that I have been in touch wish players from a lot of countries. Renju is very old game but for many years this game was only played seriously in Japan. Now we have many countries interested in the game and threfore it is really in time for the First World Championships. I really look forward to thethrilling competition in Kyoto.

Is it possible for the players from other countries to win against the
favourites from Japan?
See you in Kyoto.

(同)

祝・第1回連珠/五目世界選手権戦
連珠を世界に!
社団法人日本連珠社理事長
第1回連珠/五目世界選手権実行委員会
名誉副会長 三上繁太郎

社団法人日本連珠社副理事長・国際部長
第1回連珠/五目世界選手権実行委員会
大会委員長 早川嘉美

連珠ファンの来日を心から歓迎いたします。私どもは8年前から「連珠を世界に!」「連珠を通して世界の方々と握手をしよう!」を掲げて、連珠の国際普及に努めてまいりましたが、こんなに早く世界選手権戦が開かれようとは正直思いもよりませんでした。まさに感無量といったところでございます。これもスウェーデン、ソビエト両国連珠関係者のご尽力によるところ大であり、この機会に厚く御礼申し上げる次第でございます。

さて、初代連珠世界チャンピオンはどの国の誰がその栄誉に輝くのでしょうか? ストックホルムやモスクワ等において両国の力量を確かめている私どもにとっては、大変興味の持たれるところでありますが、わが国の第1人者である中村茂名人が最高の技量で皆さまを迎えたいと準備に余念がありません。きっと中村名人を中心とした展開を見せながら、期待に違わぬ素晴しい棋戦を繰り広げることでありましょう。

一方、五目選手権戦はソビエト勢中心の展開とみられますが、スウェーデン勢にもあなどりがたいものがあり予断を許しません。この部門はわが国ではほとんど打たれていませんので、手薄なのは否めませんが、みすみす安易に敗退することは許されないと急ピッチの研さんに入っているところであります。

ところで、両部門のオープン戦を企画いたしましたところ、内外に大きな波紋を呼び、実に10数ヶ国からの参加が確定しつつあり、希望が大きくふくらんで参りました。本当に嬉しいことでございます。これまでに至るには実に多くの方々の絶大なご支援をいただきました。お陰さまでこのような立派な大会に育てあげることができました。心から感謝申し上げます。

最後に厳しい対局はさておき、1週間の京都滞在を心ゆくまで楽しんでいただければこの上ない喜びであります。連珠を愛する方々が各国に増え、世界平和の一助になることを祈念いたしましてご挨拶といたします。

(同)

第1回連珠/五目世界選手権戦
歓迎ご挨拶
社団法人日本連珠社 総裁
第1回連珠/五目世界選手権戦 大会名誉会長
田中龍夫

主催者を代表してひとことお祝いの言葉を申し上げます。
第1回連珠・五目世界選手権戦ご出場の皆さんとRIF連珠国際連盟関係者の来日を心から歓迎いたします。
ここにご臨席の皆さん方は既にご承知のことと思いますが、連珠は今から250年前、わが国におけるサムライ時代に誕生したといわれていますが、今、こうして多くの国の方々に親しまれ、さらに大きく世界に羽ばたこうとしている熱気を感じ大変嬉しく思っております。連珠はシンプルながら、汲めど尽きない奥深さがあるとよく高段者から聞いていますが、皆さんの真摯な姿に接しているとき、ああ、本当にそうなんだなあと思われて参ります。
ではありますが、もっとも親しみやすい、分かり易いゲームであることは確かでございます。こういった年齢を超え、言葉を超えて、すぐに一体となって楽しむことができる連珠が、世界中でひとつのルールで楽しまれるようになればどんなに素晴しいことでありましょう。こういうことになれば、それはもはや一つの原語といえるのかも知れませんが、連珠にはこういった大きな夢が託されているように思えて仕方がありません。

明日からいよいよ記念すべき初代チャンピオンを決める闘いが始まりますが、京都の夏はとりわけ暑うございますので、選手の皆さんは十分に体調にご留意いただいて、日頃の成果を十分に発揮されるよう祈念いたします。また、楽しく、友好を中心にしたオープン戦も企画されているようでありますので、国際友好の実をあげながら楽しんでいただければ幸いと思っています。

最後に、連珠の国際普及にご尽力いただいておりますトミー・マルテルRIF会長、アンドレイ・ソコルスキーソビエト連珠連盟会長、その他の関係者に感謝と敬意を申し上げ、歓迎のご挨拶といたします。

(歓迎レセプションにて/第1回連珠世界選手権戦京都大会報告誌)

歓迎レセプションから 1989.8.1

田中とみ江さんらが奏でる大正琴のメロディーが流れる中、各国選手が次々と入場。早川嘉美大会委員長の司会のもとに華やかに進められた。この日は中国、タイの姿は見えなかったものの、ソビエト、スウェーデン、イギリス、台湾、アメリカ(試合には出場せず)の25人を含めて約150人。 もちろんトミー・マルテルRIF会長(スウェーデン連珠連盟会長)やアンドレイ・ソコルスキー・ソビエト連珠連盟会長の姿もみえる。ソビエト選手11人全員が初めての来日で緊張の表情がみてとれる。

来賓はと見ると、そうそうたる顔ぶれ。一人ひとりが主役になる方が多く見られる。石原健三・石原産業会長、磯部一志・王府支配人、岡正彦・富士海外旅行常務取締役、河村芳邦・全国青年団OB代表世話人、木村日出雄・日本航空京都支店長、木村義徳・将棋八段、末次一郎・日本育成会理事長、末広愛邦・元東本願寺宗務総長、鈴木文雄・鈴木国際事務所社長、森清圀生・通産省官房企画室長…。

もちろん連珠界の主役の顔ぶれも揃っている。世界選手権戦に出場する中村茂名人らは当然として、佐伯静夫九段、西尾珠豊九段、三森政男九段、本田正石九段、高木秀山八段、坂田吾朗八段、三上又三郎八段、松浦浩五段、香山恒弘五段、磯貝江月八段、光山正雄七段、田中忠義五段、入江海三三段…。
沢井敏郎、三村威左男、浅野皓平、達富弘之らご夫婦揃っての参加も目につく。本当に嬉しい光景である。

開宴。田中龍夫大会名誉会長(日本連珠社総裁、衆議院議員=国会急務のため欠席)の挨拶(代読)のあとマルテル会長、ソコルスキー・ソビエト会長の挨拶があり、地元を代表して石原健三顧問から歓迎の言葉が述べられた。
次いで選手紹介。次々と外国選手がヒナ壇にあげると会場は一気に熱気に包まれた。やがて末次一郎顧問の音頭による乾杯で食事に移り、あちこちで笑い声が弾んだ。
途中、新田耕一さん(シャンソン歌手)演ずるプレスリーが登場し、程一彦さんの熱唱あり、ステファン・ヨンソンさんの“咲いた咲いた♪”の独唱ありで、大いに盛り上った。8時半、明日の鋭気を秘めて散会となった。

〈解説〉
レセプション出席の中村名人がポツリ。「これだけの方をお迎えしたのだから大変だなぁー。来てよかった」
レセプションのあとは席を移して監督会議が行われ、一方では選手権戦準備の会場設営が夜遅くまで続けられた。

(『連珠世界』1989年9月号より)

以下次号。いよいよ選手権戦に入ります。