連珠を世界に! ロマンの旅50
連珠命名100周年
明治32年(1899年)12月6日、当時の人気新聞『萬朝報』紙上に「連珠」(当時は「聯珠」)と命名すると発表されて100年を迎えることになりました。
連珠が大きくマスコミに取り上げられている時、これを何とか生かすことが出来ないかと模索した結果、アンドゥ・メリティ世界チャンピオン(エストニア)と中村茂名人の夢の対局に思いが馳せたのです。
中村名人は第1回世界選手権、第2回世界選手権に出場し、18勝3分けの無敗でチャンピオンを獲得しています。その後、世界選手権戦には出場せず、国内では常勝将軍をして君臨し、世界では中村神話となっていたのです。
1999年8月、2度目の世界選手権を獲得したメリティくんは「中村名人と対局をしたい。名人を倒さないと真の世界チャンピオンとはいえない」の談話を残しています。
これを聞きつけたアレキサンダー・ノソフスキーRIF副会長(ロシア)とアンツ・ソーソロフ(エストニア連珠協会代表)を中心に「なんとしても企画して欲しい」とワイのワイのと言って催促してきます。
私とてとても魅力のある企画なのですが、中村名人が受けてくれるかどうかが大きなハードルであり、資金の確保も生易しいものではありません。躊躇せざるを得ない難問が山のようにあったのであったのですが、みんなの熱意に動かされて、「中村名人ーメリティ世界チャンピオン6番勝負」のゴールデン企画を実行に移すことになり、中村名人の同意を取り付けたのでした。
これに合わせて、現在も続いている「6・7段 段位認定会」を新たに設けることにしたものでした。
詳細に報告したいところですが、相当のボリュームにもなりますので、「連珠命名100周年記念式典・理事長挨拶」を掲げ、当時の私の思いをお届けすることし、あとは『連珠世界』の転載でお許しいただきます。
連珠命名100周年記念式典 理事長挨拶=要旨
連珠の原形、五目並べはどのようにして、また、いずれで生まれたのでしょうか。連珠は、五目並べとどう違うのでしょうか。連珠人口は、どのくらいなのでしょうか。連珠という名は馴染みが薄い、もっとインパクトのある名称に変えてはどうか、という方もおられます。連珠愛好者の中には、そんなことはどうでもいいし、日本誕生説でも中国誕生説でもいいし、連珠人口が増えなくても、好きな人だけでやっていればいい、と仰る無関心な人が多いのは、残念なことだと思っています。
今、世界の連珠ファンは、日本誕生説を疑いませんし、連珠を愛したその日から、日本人に興味を持ち、日本を好きになってくれています。これを放棄してはいけない、と考えるのが、日本連珠社をあずかる理事長の務めだと強く思っています。
連珠の誕生についての詳細は、『連珠世界』の 7月号から10月号にかけて連載いたしましたので割愛しますが、連珠へのつながりとなる五目並べの誕生は、1700年代中頃、今から250年前、京都松原柳の馬場周辺とされています。この頃は、五石(いつついし)と称されていました。その後、三重県津市の漢学者・土井ゴウ牙によって格五と称されたり、囲碁から派生した言葉として五目並べ、将棋から派生した言葉として五つ並べ、更には五連などなど、様々に呼ばれていました。
後に、第1世名人に推戴される黒岩涙香こと高山互楽の発行する当時の人気新聞『萬朝報』に、明治32年9月、詰め連珠の掲載が始まります。反響はすこぶるだったようで、実戦を掲載せよ、との要望が相次ぎ、掲載に踏み切ることになるわけですが、掲載にあたって、五目並べでは軽侮されやすいので、何とかいい名称はないかと模索した結果、「連珠」になったようであります。明治32年12月、今からちょうど100年前のことです。
ところで、ここにご参列の皆さんにおかれましては、連珠の名称を如何お考えでしょうか。
五を並べる、五を完成させるというのは、元来とても大切な考え方のようであります。
例えば、五子ー蒼玉、赤玉、黄玉、白玉、玄玉となり、五輪のマークにつながります。
五行ー天地の間に広がり、巡り動いてやむことのない五つの元素であり、木、火、土、金(ごん)、水。陰陽五行説は余りにも著名です。
まだまだあり、五体満足、五戒(五つの戒め)など。
連珠も古くは、五連を作ることを仁、義、礼、知、信の五言で説いたこともありました。いずれにせよ、五を作ることは美しいことで、素敵なことであります。
こうして眺めていくと、もう少しわが連珠を楽しむ人は、心掛けを清らかにしないといけない、という考えがあってもいいのかも知れません。
さて、「連珠」という名称ですが、私はとても美しいと思っています。今や連珠は、RENJUという名で世界30数ヶ国に広がり、日常的にインターネット対局が行われています。
平成元年、89年に、当ホテルで第1回連珠世界選手権戦が開催されましたが、テレビ局のインタビューで「ソ連ではなんと呼びますか?」とう質問に対して、ソ連の会長・アンドレー・ソコルスキーさんは、なんという質問をするんだという表情で「Oh,of couse Renju, Renju」と答えていたのが印象的でした。
RENJUは、外国の愛好者にとても響きが良い様で、RENJUの命名は100年たった今、更に光が発しているような気がしますが、如何でしょうか。
私的な話で恐縮ですが、私は嵯乃庭慈泉さんという方のご指導を受けていますが、ある日、こんなことがありました。
もともと「珠」は、宝をあらわす意味であり、連珠は数珠につながるといわれます。珠という宝物によって、世界の方と友好をつないでいくのは、素晴らしいことです。知っておきたいのは、己に厳しく、万人には慈悲の心で手を差し伸べる、これが本当の数珠の姿であり、連珠もそうあるべきですね、と。
100年と簡単にいいますが、この間、どれほど多くの先人の皆さんに支えられてきたことか。そのことも考えながら、次世代につなげていくのもまた連珠のもつネーミングでもあると思われます。
連珠命名100周年を迎えた今日、こんなことを改めて見つめ直し、こうしたところに限りない愛情を示す日本人の、日本の文化としての誇りを持ちながら、連珠界の発展、年齢を超えたエイジレス友好、大きくグローバルに、世界平和に貢献していきたい、真剣にこのようなことを考えています。
今回の記念行事には多くの方々に支えられて、このように盛大に開催することが出来ました。本当に本当にありがとうございました。
明日から、今回の目玉であります名人VS世界チャンピオン6番戦が始まります。この対局を、世界の愛好者がどれほど待っていたことでしょか。私もフアンの一人として、楽しみに見守って生きたいと思っています。
少し余談ですが、韓国が今RIFに加盟手続き中でございます。また一つ、アジアに連珠の灯がともりました。また記念対局に間に合うように開設した日本連珠社のホームページは、開設以来、大変なアクセスとなっています。連珠はインターネット対局にすごぶる向いているようで、メディアの活用によって、ますます人気を高めていくようにも思います。
まだまだお話したいことがありますが、これくらいで止めさせていただきます。なにかと行き届かないことも多いかと思いますのが、精一杯努力を続けてまいりますので、今後ともよろしくご支援ご協力を賜りますようお願いして、100周年記念式典にあたってのご挨拶とさせていただきます。
(『連珠世界』第536号 平成12年3月刊)
次回は、「中村茂名人ーアンドゥ・メリティ6番勝負」をレポートします。ご期待下さい。