「連珠を世界に!」ロマンの旅 37
京都から待望の名人が誕生!
1993年8月、スウェーデン・アルイェプログで世界チャンピオンを失ったものの、翌年、世界普及を引っ張る京都に名人誕生という朗報がもたらされた。
無敵といわれた中村茂名人(東京)を破って、14年ぶりに箱根越えがなったもの。無敵名人敗れるに加え、新名人となった河村典彦八段のさわやかな人柄が、マスコミの間でじわじわと広がっていった。また、河村新名人がこれに積極的に応じてくれたため、「世界チャンピオンを失っている」ことに『世界チャンピオンの奪還期待』」が加わり、少しばかり「時の人」になった感さえ漂わせた。
連珠の名人はこうあって欲しい。連珠を愛する人の憧れであり、目標となって欲しい。そして、連珠の普及宣伝に努めて欲しいのである。
この二つを備えた河村名人に今回スポットを当ててみたい。
まずは小さな報道からー
研究成果が直接勝負に結びつくのがおもしろい
=松下電工社内新聞
河村名人に允可状
連珠・京で就位式 =京都新聞
河村氏の連珠新名人就任で祝賀会
日本連珠社が京都で =日本工業新聞
允可状授与式
この流れが第4回連珠世界選手権エストニア大会の世界選手権奪還に結びついていく。
そのことが、さらにマスコミ界の話題を集め、ものすごいデカイ報道へと結びついていく。次号に?
「蛇足ながら」
日常の連珠活動がマスコミ界の注目を集めることなどかってなかったことである。
これを大切にしたいと心に強く誓っているさなか、私(早川)に社団法人日本連珠社の理事長就任要請が持ち上がった。理事長が東京を離れることはいままでなかったことである。
私は〈ナンバー2人生〉を自負していることもあり、「その器にあらず」と強く辞退したが、平成7年(1995)11月、理事長に就任することになる。
次回の報告と後先になるが、就任に当たっての挨拶状を掲げておきたい。