「連珠を世界に!」ロマンの旅 32
第2回連珠/五目世界選手権戦モスクワ大会 レポート
ソビエト連珠連盟
会長 アンドレイ・ソコルスキー様
社団法人日本連珠社
総裁 田中龍夫
謹啓
貴連盟ますます御発展のこととお喜び申し上げます。第2回連珠&五目世界選手権にあたり、一言ご挨拶申し上げます。
同大会がいよいよ5日から開催されようとしていますが、私も同席して各国の皆さんと親しくさせていただく予定でおりましたが、諸般の事情で断念いたしました。まことに断腸の極みであります。
さて、本大会を準備いただきました貴連盟はいくつかの困難を克服して、あらたなメンバーを加えて開催にこぎつけられました。そのご苦労に最大の敬意を表するものであります。ご案内、経過を逐一拝見していますと、確実に世界に広がっていることを感じ、嬉しい限りです。わが国においても、最近ルーマニア、台湾から相次いで連珠ファンが訪れ、いよいよ国際性も本格化して参りました。
連珠のようにごく一般に親しまれ、国籍、年齢、男女を超えて楽しむことができる競技が、世界のひとつのルールで、またひとつの組織でまとまることができれば、日ソ両国間だけではなく、国際友好に果たす役割は大きいといわねばなりません。わが国も10月に第2回東京国際連珠大会を開催する準備をすすめています。その折にはぜひご来日いただき、拝顔したいものであります。
いよいよ明日から大会が始まりますが、わが日本選手団は、理事長三上繁太郎以下13名でございますが、何卒よろしくご高配の程お願い申し上げます。 今後も連珠に対し、ご支援、ご協力をお願い致します。末尾ながら、貴兄のご健勝、貴連盟のご発展並びに本大会の成功を祈念いたします。
1991.8.5
(この親書は田中総裁から大会会長にあてたものです。)
第2回連珠&五目世界選手権モスクワ大会
開会ご挨拶から
連珠国際連盟副会長/日本連珠社国際部長
早川嘉美
皆さんこんにちは! 日本選手団を代表して一言ご挨拶申し上げます。
私は今、とてつもなく嬉しく思います。Now, I'm great happy. Now I'm great happy. 本当にうれしいにつきます。
ソコルスキー会長、ノソフスキーさん、審判長のペレプレチコフさん、カーフマンさん、わが親友とも思うポゴシャン君、ミスターレイミス、ミスターミカイロフ、ミスターサニコフ、数えあげれば切りがありませんが、こうして笑顔で何度も再会できるのは夢のようであります。また新しいメンバーもたくさんお目にかかれて光栄です。
さらに、RIFプレジデントのマルテルさん、スンドリング君、ヨンソン君、オーストリアのウンターベガー君、いますか。いいですねー。ベトナムの仲間は初めてですが、これからは幾度も握手をしようではありませんか。
私は13年前、当地のサプロノフさんと出会い、以後手紙で対局を続けながら、世界普及を話し合ってきました。13年前というとソビエトにはたった3人の連珠ファンしかいなかったと聞いています。日本国内でも、まだ国際普及に対する認識が高まっておらず、本格的に国際普及に着手してからも、仲間から理解を得られませんでした。
ところが、スウェーデンで、そしてソビエトで、すごい勢いでファンが急増したお陰で、この大会には中村茂名人以下、本当に日本のトッププレイヤーを同行することができ、日本国内でも関心は大いに高まっています。
連珠世界選手権、五目世界選手権では最高の技術を披露して、皆さんと争うよう選手には伝えています。十分皆さんの期待に応えることができるでしょう。
一方では、プレジデント・ミスター三上、ソビエト訪問4回のミスター達富、3回目の私、2回目のミスター澤井、そして初めての訪問となりますミスター三森らは、別の意味で、楽しく友好を深めたいと思っています。また、日本最強のコンピュタープログラムの創作者ミスター松浦もコンピューターとともに出かけてきました。
なお、この会場にはモスクワ日本大使館より、繁田公使にご同席をいただいております。私どもの友好ぶりをご覧いただきたいと申し入れていました処、快くお引き受けいただいたものでございます。
それではこれからの5日間、十分楽しみ、意義のある大会になりますよう心から祈念してご挨拶とさせていただきます。
(この項はレセプションでの挨拶をまとめたものです。)
第2回連珠/五目世界選手権モスクワ大会 結果
大会の経過は『第2回連珠/五目世界選手権戦報告誌』に、全棋譜を掲載で詳細にレポートされています。報告誌をご希望の方は ↓
FAX 076-525-0615早川 Mail; hykw-san@luck.ocn.ne,jp
〒とも 1,000円
大会アラカルト
大会運営は京都大会に添って速報を出すなど工夫が見られたが、お国柄とあってか、進行はのんびりしたもの。また大会会場は静寂とはおおよそ違ってにぎやかそのもの。選手権でもしかりで、中村名人を中心に日本選手のまわりには、いつも観戦者が集まっていた。
対局の合い間には、コンピューター同士の対戦も行われた。松浦ソフト対シャポニコフ・ソフトの対戦にもひとだかり。松浦ソフトの1勝2敗1分けとなったが、直後のマーストリヒト(オランダ)で行われたコンピュ-ター世界選手権「連珠の部」で、シャポニコフ・ソフトが優勝していることからみて、松浦ソフトのレベルの高さが実証された。対局譜については松浦レポートに掲載されている。
大会期間中、対局終了後のルームパーティがさかん。初日はアルメニアパーティ、2日目はジャパンパーティといった具合。中日は公式レセプション。ソコルスキー・ソ連会長、マルテル・スウェーデン会長(RIF会長)の挨拶と静かなスタートだったが、途中からはまるでカラオケ大会。出席者全員が思い思いに自慢の喉を披露し、楽しいひとときをすごした。
最終日の全局終了後は踊り狂う若者の姿があった。誰が声をかけるでもなく、中村名人の部屋に大集合。明け方近くまで残ったエネルギーをぶつけ合っていた。
一方、役員団は寸秒を惜しんでモスクワ日本大使館を訪問し、田辺朋之京都市長の親書と市章メダル、城陽市と亀岡市の市章メダルを携えて、ポポフ・モスクワ市長を訪問した。またポポフ市長に対し、第2回連珠世界選手権のモスクワ開催の謝意として、日本連珠社から七段位を授与した。このあとも精力的に動き、共同通信モスクワ支局へ挨拶に伺うかと思えば、囲碁ファンの期待に応えてチーム対抗戦に応じるといった具合い。
さらにラトビアからの連珠定期交流の話や経済交流の申し出、チェルノブイリ支援の申し出に耳を傾けるといった具合に多忙を極めた。
なお、世界2連覇の中村名人を中心にテレビ取材があり、ソ連全土に放映された。またモスクワ日本大使館から取材を受け「モスクワ通信」に近日掲載の予定である。嬉しいことであった。
宴よ、続け!
日本選手団 監督
三森 政男
8月5日(月)午後12時15分、成田空港を轟音とともに出発。楽しみにしていた上空からの展望も一瞬にして雲海の中では絶望。高度13000メートル、上空は快晴。眼下は大氷河を想わせる熱い雲塊。ほどなくして時計の針を6時間逆戻りをさせる。モスクワ時間で午前7時。機体の揺れも新幹線なみで、まずは快適。月曜日とあってか、後部座席に空席が目立つ。1時間ほどして落ち着いたせいか、早くも携帯連珠盤を取り出して研究に余念がない選手達。これだけの熱意があれば、今回も上位独占は確定的…とひと安心。
午後5時、到着1時間前。光沢した雲海からソ連領内の陸地が見え始める。眼下に広がるうねった河川、道路。洋茫とした大地。機体の降下とともにセンチ刻みで午後6時(日本時間午前0時)無事到着。うす暗い空港の要所には兵が立ち、日本とは違った緊張が走る。
ノソフスキー氏ら関係者の出迎えを受け、バスで宿舎のオリンピックホテルへ直行。既に先着の諸国の握手攻めにあってから自室へ。
8月6日(火)本日晴天。空あくまで青く、ホテル周辺の白樺を渡って届く涼風は爽やかで、日本の中秋を思わせる。選手諸君は心配した寝不足を感じさせぬ元気そのもの。若さの賜物であろうか。
昨夜の歓迎会には200名は居ただろうか。日本では考えられない数だ。役員団は慣れぬロシア語で舌をもつれさせながら「トロイカ」等を歌った。趣味を同じくする者たちの素晴らしい姿であった。就寝、午前0時、時差の関係から昨日は25時間ほど起きていたことになる。
思えば46年前のこの日、今日の日本の平和と繁栄をもたらす契機となった歴史的な事実があった。が、しかし今度はソ連のこの地で、日本が世界戦略を目指す「連珠」によって、日・ソ決戦が行われようとしているのは、まさに歴史の寄寓だろうか。
8月10日(土)、表彰式も終わりに近づいた。夜も9時になろうというのに、外はまだ明るい。
優勝は予想どおり中村茂名人が前回(89年)に続いて連覇。2位には山口五段。彼は初日に2連敗を喫して前途多難を思わせたものの、本来の調子を取り戻して2位は立派。中村名人に勝るとも劣らぬ才分は、今後に期待することが大きい。3位にソ連のレイミス七段が入ったのは、ついに来るべきものが来たという感じだ。
ソ連珠界が世界に問うた切り札が彼であり、そして、常勝日本勢の一角を切り崩したのは、賞賛とともに歓迎すべきことであると思う。ソ連珠界の会員5000人という層の厚さと、情熱を以ってすれば、今後、上位入賞者が出えることは想像に難くない。
ともあれ、5日間にわたる熱い熱い戦いは終った。
選手諸君、ご苦労さま。そしてスパシーバ。
(現日本連珠社理事長)
(以上は『第2回連珠/五目世界選手権戦モスクワ大会報告誌』より。199.11.1発行)
第2回連珠世界選手権モスクワ大会
スポーツ感覚のファン
中村名人 世界に君臨 =京都新聞=
早川嘉美
一昨年、京都で始まった連珠世界選手権戦の第2回大会が、さる5-10日、モスクワで開かれた。
現在、連珠国際連盟(RIF、本部スウェーデン)が発行している『連珠ワールド』は25ヵ国に親しまれているが、今回参加したのは7ヵ国。少し寂しい気もするが、日本、ソ連、スウェーデンの連珠先進国の力があまりにも強く、世界選手権ともなればしり込みをせざるを得ないのであろう。
優勝候補はわが国の第一人者である中村茂名人(東京)に一致していたが、ソ連会長のアンドレイ・ソコルスキー氏はアイデス・レイミス七段(ソ連)を推していた。結果は中村名人の9勝2分けのぶっちぎり優勝であったが、レイミス七段は5勝2敗4分けで堂々3位に食い込み、日本の上位独占を阻んだ。ソ連の地力の大幅アップを物語る一コマであった。
それにしても中村名人の常勝ぶりはすごい。世界の強豪を相手に1期から通算17勝3分けの負け知らず。まさに世界のスーパースターである。
ところで、大会期間中、筆者はソ連各都市(国)からのすさまじい招待要請にあった。レニングラード、リガ、ミンスク、キエフ等々。彼らが一様にいう。「ミスター、ハヤカワが来てくれればわが国でさらに爆発的に普及するだろう」と。中でもリガからの要請は繰り返し行われた。
ラトビアの首都リガから、建設省のサリム氏が視察に来ていた。氏はラトビアの経済再建プロジェクトのメンバーの一人だそうで、その構想はテニスと連珠で世界の主導権を握ることだという。そうなれば、テニスはビジネスになり、連珠はビジネスにこそならないが、マインドスポーツとして各国の心の交流には最適だという。テニスと連珠の指導者をわが国に呼んで、いち早く世界をリードする立場になりたいと熱心に訴える。
今、ソ連には6千人の有段者がいる。また、その予備軍もすごいようだ。会場に少年たちが楽しく興じていたことでもよくわかる。各国で連珠誌を発行し、わが国の棋譜はいち早く冊子にして、ソ連全土に配布されている。
会場には夫婦連れ、子供連れがスポーツを観戦するように楽しんでいた。たえず、50人位の人が見物している。連珠が世界にはばたくためには、こういったスポーツ感覚の取入れが不可欠のようだ。
古くて新しい、トレンディー性を持つ連珠。京都で生まれ、世界にはばたこうとする連珠。まさに京都の求めようとしている姿に一致する。
京都は3年後に建都1200年を迎えようとしている。筆者はこれにあわせ、世界のファンを集め、国際都市・京都の一翼を担おうと心に誓った次第である。
(RIF副会長、日本連珠社国際部長・八段)
(1991.8.19『京都新聞』)
底辺の広がりに喜び
アジアの国も参加を =朝日新聞
5日から11日まで、モスクワで開かれた第2回連珠世界選手権で、日本選手団の総務をつとめた早川嘉美連珠国際連盟副会長(48)は、「外国勢が年々強くなっているのを肌で感じとった」とびっくりする。
京都で2年前に開かれた第1回は、上位4人を日本が独占したが、今回は3位にソ連選手が食い込み、6、7位にもスウェーデン選手が入った。
早川さんは八段の腕前だが、今回は裏方に徹し、選手団の面倒だけではなく、大会運営に駆けずり回った。「大きなホテルなのに、使用できる電話回線がたった一つ。連絡だけでも大変だった」と苦労を話す。その忙しい合間をぬって、観戦に来たソ連人の相手を楽しませてきた。
オープン戦を含め、まだ7ヵ国の参加だけだが、ヨーロッパを中心に、底辺は広がりつつある。「中国や韓国などアジアの国にも参加して欲しい」と願っている。
(1991.8.18『朝日新聞』)
クーデター寸前のモスクワを訪問 =近畿税理士会東山支部『ひがしやま』
早川嘉美
1昨年京都で華々しく開催された連珠世界選手権の第2回大会に、日本選手団総務として同行。8月5日出発、1週間のモスクワ大会を終えて12日に帰国しました。
この間には、田辺朋之京都市長の親書を携えて、ポポフ・モスクワ市長を表敬訪問。ポポフ市長は夏休み中でお会いできませんでしたが、ボリソフ儀典部長と約1時間に渡って懇談。ソビエト経済のこと、日本に対する期待、モスクワの歴史等々。
世界選手権でも成果を上げて帰国した矢先にクーデターさわぎ。直感したのは「流れは低きに就く」でした。自由を求める息吹。1年半前に訪問した時と違った活気を見てきただけに、圧政で対抗してもどだいムリではないか、と感じたのです。その証拠とも言えるのが次の写真。
クーデター1週間前の赤の広場。若い兵士と一緒に撮ったものですが、緊迫感などまるでありません。ハイポーズ、の呼びかけに、ご覧のような笑顔を見せてくれました。
(1991.9.1『ひがしやま』)
京日記 =京都新聞
◇キングはゴルバチョフか、エリツィンかー。ソ連の歴代リーダーを駒(こま)にしたチェス=写真=を亀岡市東竪町、府立須知高校教諭達富弘之さん(47)が持ち帰り、6日夜、京都市内での帰国報告会で披露した。
◇レーニン、スターリン、ブルジネフらソ連の指導者を型取っているが、皮肉にもロシアの革命の父レーニンは最も小さいポーン(兵卒)。ゴルバチョフとエリツィンの二人がキング格で、ほぼ同じだが、顔はエリツィンの方が大きめ。
◇達富さんはチェス駒のコレクターで、100種以上集めている。政変の1週間前、連珠世界選手権に日本代表選手団コーチで訪ソ、土産物屋で購入した。店の主人は「キングは使う人間が決めればよい」と言ったそうだが、チェス駒はすでに勝負を暗示していたようだ。
(1991.8.19『京都新聞』)
蛇足
この時期、まさにこれでもかこれでもかの勢いで報道機関を日参して記事になるようアタックしたものである。これが普及活動に欠かせない活動であると確信していたものだ。
各種記事でも明らかなように、1週間後にソ連でクーデターが起こるなど想像だにしないことであった。モスクワで投函したハガキは、ある日を境に着くものと着かないものに分かれてしまった。これも歴史の一幕であろうか。
(早川)
以下はその他の報道から?