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連珠のルーツ

連珠の起源は

連珠は、いつ頃、どこで生まれたのでしょうか?

かっては中国誕生説でしたが、これは「囲碁イコール連珠」という位置付けのもとに推定されていたにすぎません。事実、幕末の漢学者・土井ゴウ牙は「中国ではその昔<格五>と称されていたと思われる」と考え、「格五」の名を唱えたときもありました。

しかしその後の調査研究で「格五」は別の盤上ゲームであることが明らかになり、中国説は資料を失うことになりました。このような経緯を経て、史料として「連珠」の原形が現れるのはわが国が初めてであり、1700年代中頃となります。

二条家に出入りしていた鬢付油商・第10代桑名屋武右衛門がその人。

当時二条家では、「五石」(いつついし)と称されていましたが、出入り商人である第10代桑名屋武右衛門がこの技に秀でて、民間に伝わったとされます。

同家を中心に細々と打ち継がれていましたが、下って第13代桑名屋武右衛門が得に秀で、京都松原柳馬場に住んでいたことから、二条家より「松柳舎」の家名を賜り、安政3年(1856年)『五石定磧集』を著しました。

幕末?明治維新の発展

『五石定磧集』が発行されて以来、五石、格五(格伍)、五目並べ、五法、五聯、京碁などさまざまに呼称されるなど流派ごとに異なりましたが、大きな発展を遂げ、解説書も数多く発行されました。

その後、「噫無情」「巖窟王」などの翻訳で知られる黒岩涙香がこの技に興味をもち、自らの発行する『萬朝報』(よろずちょうほう=明治25年刊)に同32年9月から「五目並べ必勝法」を連載します。半月もたたない内に、実践譜を掲載せよとの声が沸き起こり、同年10月2日、実践譜が同紙に掲載されます。

このように発展を遂げたのですが、囲碁の余技として派生した感は否めず、統一した名称の必要性と一般から侮蔑されやすい名称の解消が論議されることとなりました。

「連珠」の誕生、1899年=明治32年=12月6日

明治32年秋、高山互楽(黒岩涙香の号=のちの第一世名人)は、それまで用いられていた「五目並べ」等は軽蔑されやすいのを遺憾とし、その解消に乗り出し、同年12月6日『萬朝報』紙において、「聯珠」(現在は「連珠」)と称すると発表したのです。

その後、「連珠」の名称が定着するまで幾多の紆余曲折がありましたが、いまでは世界のRENJUとして、35カ国にその勢いを広げています。とくに昨今は、インターネットを通じての国際対局が花盛りで大いなる発展を期待されているところです。

(1999.10.1発表)
連珠のルーツ