「連珠を世界に!」ロマンの旅 30
『アサヒグラフ』に大特集記事掲載される!
1990.10.26発行の『アサヒグラフ』に前回紹介した「第1回東京国際連珠大会」が大きく報じられた。
「連珠を世界に!」を掲げた理由の一つに、なかなか思うように進まない国内の連珠の普及発展に業を煮やしていた。海外に普及発展させ、これを逆輸入する、いわゆる「文化の逆流」が早道ではないか、と真剣に考えたこともあった。 その願いが叶ったかのように、連珠国際連盟の誕生、国際大会が大きく取り上げられる機会が多くなった。もちろん猛烈なアタックを展開したのだが、ありがたいことであった。 それにしても、この大特集はどうだ!!
盤上に響く音も格調高く
4カ国が参加して国際連珠大会
「五目並べ」を基本に、先手と後手が対等に戦えるようにルールを工夫した日本発祥の「連珠」が、世界に広がりつつある。10月6.7日の両日開かれた「東京国際連珠大会」にソ連、スウェーデン、韓国から有段者が参加した。来年にはめざましい勢いで普及しているソ連で世界選手権が開かれる。国際化する連珠の実情とその背景は……。
「カチ、カチ、カチ、カチ……」
残り時間を示す時計の音が、勝負の緊張感を高める。
「ウーン、よ、よ、よめない」
「なんだ、なんだ、そ、そうか!」
ひとり言やため息が、少しずつ増えてくる。鼻をこすりながら首筋をピクピク震わせる人、少なくなった碁石を机に並べて、突然、椅子の上に正座をはじめる人、腕を組んだまま、数十分も眉ひとつ動かさずに盤上を見つめる人……。試合が中盤にさしかかると、選手それぞれの性格や仕草がだんだんあらわになってくる。
「’90国際連珠争奪、東京国際連珠大会」が10月6.7日、東京・永田町の星陵会館で開かれた。ソ連やスウェーデン、韓国など外国選手に日本人の有段者をまじえ31人が参加、2日間にわたって白熱した戦いを繰り広げた。
「連珠」というゲームを簡単に説明すると、子どものころに遊んだ「五目並べ」を基本に発展させたゲームと、まず理解していただきたい。ただし、「五目並べ」だと先手が圧倒的に有利なため、「連珠」ではルールが多少複雑になってくる。先手に「三々」「四々」「長連(六個以上の石が並ぶこと)」の禁手を設け、先手は打たされても負け。後手は禁手なしで長連も勝ち。先手と後手が対等に対戦できるように工夫されている。
だから「連珠」は「五目並べ」と異なり、かなりレベルが高度だ。運や偶然性の要素がほとんどない。純粋に論理の力を競う頭脳プレーであり、序盤から、先の先まで考え抜いた緊迫した展開になりやすい。
日本発祥のゲームで、歴史は古く、約千年前の平安時代から宮廷や貴族の間で「連珠」の原型が出来上がっていた。
(早川注=平安時代説は古くからあった説。この頃では江戸中期説が主力となっていた)
その後、各地に広まり、江戸中期には、現在のルールに近いものが、京都で行われていたという。そして、明治32年になり、それまでバラバラだった各地のルールを統一したのが、万朝報社で小説家でもあった黒岩涙香で、このとき「連珠」という名称が生まれた。
この連珠、いまやソ連やスウェーデン、オランダなどの海外諸国で、ポピュラーなゲームになろうとしている。1988年には、日本を含めた4ヵ国で、RIF(連珠国際連盟、本部スウェーデン)を設立。昨年8月には、京都で7ヵ国が参加して「第1回連珠国際大会」が行われた。
最近、普及が著しいのは、来年第2回世界選手権の開催国に決まっているソ連だ。今年の大会にも、事前に5段以上の選手16名によるチャンピオン大会を実施して、日本に実力のある選手を送り込んできた。
ソ連に連珠が伝わったのが、いまから13年前。当時、タス通信社のジャーナリストで、連珠に関心を持っていたウラジミール・サプロノフ氏が日本に来て、早川嘉美八段と対局したのがきっかけだった。
もともと、ソ連には「クレスチキノーリキ」と呼ばれる五目並べに似たゲームあったことが拍車をかけた形となり、それ以来「連珠を打とう!」の大キャンペーンが始まり、急速に浸透していった。現在、ソ連全土で約有段者が6000人おり、愛好者は数万にのぼるという。
「最初は手紙による指導対局でしたが、ここ数年、ペレストロイカの影響もあって、ソ連では想像を絶するほど急速な勢いで広まっています。彼らは、仲間同士で研究を発表し合うなど、とても熱心に連珠に取り組んでいます。実は、RIFの設立も、今回の東京国際連珠大会の開催もソ連からの強い要望があって実現したのです」
と、海外に普及活動を続けてきた日本連珠社国際部長の早川さんはいう。
ソ連で連珠がこれほどまでに人気を集めた背景には、チェスなどのロジックなゲームに熱中するソ連人の体質に合っていたこともある。実際、世界に名高いチェス連盟が、連珠をソ連第2のゲームにしようとバックアップしているそうだ。
今回、ソ連連珠連盟副理事長として来日したアレキサンダー・ノソフスキーさん(29)は、「ソ連では1日も早く国家が承認するプロフェッショナルを要請するため、組織を強化していきことが重要な課題だ。年末にはロシア語による連珠解説書を出版することになっている」
と、熱心に話す。
今回の東京国際連珠大会では、優勝候補の一人だったミハイル・コジン七段(24)が、最終戦に敗れ、日本側は何とか面目を保った。
ソ連連珠事情に詳しい早川さんは
「確かに、上位5人までは、まだまだ日本の実力が上ですが、それ以下のレベルでは、ソ連の層が非常に厚くなっている。段位もポイント制を採用しているし、国際大会ともなると、厳しい条件の中で勝ち残った選手だけが出場してくる。近い将来、ソ連選手が優勝することもある。そうなれば、日本の連珠界も目を覚まし、とてもいい刺激になるのではないか」
と見ている。
日本古来の文化の一つである連珠が国際社会の中で、いままさに独り立ちを始めようとしている時期にさしかかったといえようか。
1990.10.26 発行『アサヒグラフ』