「連珠を世界に!」ロマンの旅 40
マスコミの特集記事 相次ぐ 1995年
私(早川嘉美)の理事長就任による対外PR活動に加え、タイミングよく河村典彦名人の世界選手権奪還が話題となって、各紙からの取材が相次いだ。
今回はこれらを一気に紹介しよう。
その年11月、阪神淡路大震災の復興祈願として、第33期名人戦の対局会場を神戸市のシンボルともいうべき生田神社に持ち込んだのである。
連珠名人戦 5番勝負 復興願い初の神戸対局 =産経新聞 |
神戸で「連珠名人戦」第3局 =神戸新聞 |
一連のPR活動を休めることなく、どんどん攻勢に出たものである。これがまた他紙へと飛び火していく。
競技「五目並べ」RENJU 世界が急成長 =読売新聞 連珠で世界をめざそう =読売新聞 連珠名人戦 河村名人 初防衛に成功 =京大学生新聞
日本連珠社が河村連珠名人の就位式 =日本工業新聞
あけて1996年1月14日、河村典彦名人の第33期名人位防衛の就位式に企画・実行したのが、インターネットによる京都ーラトビアを結んでのリアル対局である。
今でこそネットによる各種ゲームの対局は日常毎になっているが、当時は一手打つごとに発信し、受信すれば、一手返信する形で進められていた。これを連珠界あげてノウハウを結集、西園典生、大井耕三、Oくん(特に名を秘す)らの献身的な研究開発で実現したのであった。
もちろん他のゲームに先駆けてのものであり、ネット時代の到来を先駆けるものである。これにマスコミが飛びついた。詳細は次回に!