瀬尾健一先生の足跡を「座右の銘百選」として辿ってきましたが、前回をもって大団円。
今回から、いろんな場で学んだり、収集したりして書き留めてきたものに、私自身の提唱を交えながら、「新・座右の銘百選」として綴ってまいりたいと思います。
最初にお断りしておきますが、瀬尾健一先生とはあまりにも知識教養がかけ離れていますので、十分承知おきいただきお読みいただきますようお願いしておきます。
2016.4.1 記
「運 鈍 根」
新・座右の銘百選 57
「運 鈍 根」
「黒田辰秋と鍵善良房 開館記念特別展」を鑑賞に行った折に見かけた言葉です。解説に「工芸の仕事はひたすら 運 鈍 根 に尽きる」
黒田辰秋は何度もこの言葉を口にしていた。
「工芸の仕事は鈍いもの。コツコツ休まずにやる。誰の助けも受けずにやる。運は自分にはこの道しかないと思い込んで、ひたすらにやる。
根はネバリ強く一つのことを繰り返しやることだ」
と。
感想等は末尾に!
早川嘉美の研修&行動日記
散歩をかねて、京都駅・美術館「えき KYOTO」で催されていた「京都 日本画新展2021」を鑑賞に出かけました。
ちょっと日本画のイメージと感覚的に違った印象を受けるものもありましたが、作品は神経を張り巡らせていることが伝わります。私のような一夜漬けで描くのとはドエライ違いです。
当たり前とはいえ、感服しました。
2021.1.31
開館記念特別展を鑑賞
祇園 南座のすぐ近くに「黒田辰秋記念館」が開設されたのを知り、早く行きたいと思っていたのですが、ようやくこの日実現しました。
黒田辰秋師は木工芸で初めての重要文化財保持者(人間国宝)です。
なぜ出かけたか!は末尾にまとめて、コメントします。
2021.2.14
心の赴くまま散策
このところ仕事 仕事のうえ、できる限り出かけるのを控えていることもあり、ストレス気味、運動不足気味です。
お陽さんの当たるところに出かけよう!となり、まず候補にあがったのが、地下鉄に乗って岩倉へのコース。
来たバスにヒョイと乗って「清水坂」に近づいたところで、目にご利益のある清水の観音さん
(本当にご利益あらたかかどうかは不明ですが、ちょっと訳ありで信じているのです)にお参りしよう!となり、清水坂で下車。
トコトコ歩いていると「いや! 早川さん❢」と家内に声がかかりました。家内の人形教室に来られている方であり、私の同級生(高校)でもあります。
ひとしきり近況を話し合って別れたところで、喫茶にしようとなり、なじみの喫茶店へ!ところが営業自粛で臨時休業。出鼻をくじかれた感じで抹茶を喫したのですが、いつも同じでは面白くないということになり、急遽、霊山観音に変更しよう!と変更。
途中、京刃物の義定刃物さんが出店されている「倒変木」の様子見に伺い、霊山観音を参拝しました。幾度も見ていますが、近づけば近づくほどその大きさに圧倒されます。
つぎのような願い事が書かれていました。
「うまく離婚がすすみますように。慰謝料が納得できる金額でありますように。私と子供が幸せに過ごせますように!」
だって。びっくりしました。本気でこんなことを願う人がいるんだ! 観音さんに叱られないのか心配です。
2021.2.21
昨年の年末の忘年会、研修会は全部中止。今年に入ってからの新年会、研修会、会合もすべて中止。
その上、コロナウイルス禍の面白くもない関連業務が山積。
どういうわけか、あれほどむさぼり読んでいた小説もこのところほとんど進まず、我ながら少々へばり気味です。
ということで、報告するようなことはありません。
そこでちょっと変わった報告をしてみようと思います。
「人間国宝 黒田辰秋開館記念展」に出かけたのは次の関心からです。
家内(加代子)の半世紀以上昔の独身時代、師のご子息が開かれていた木工芸教室に通っていたことがあるのです。
その作品、彫刻刀も確かに見たことがあるのですが、今はどこへ行ったのでしょうか。
それから 20年も経た頃、その奥さんが連珠に興味を持たれ、私のもとに通っておられました。
そんなことから、当時、執筆していた『夕刊フジ』の「連珠 異色棋士シリーズ」に登場願ったことがあるのです。
対戦相手をしていただいたのは、故国音楽の父とうたわれる大西友之進さん。ご存じない方が多いでしょうが、滋賀県下52校の校歌を作曲されているといえば、いかがでしょう。
黒田家が美山に引っ越されたので直接の交流はなくなりましたが、賀状の交換は続いており、今年に入ってから「元気にしていますか!」と久しぶりの電話をいただきました。美山の図書館に行っても連珠の本が置いてないから、取り寄せてほしいと頼んでほしい、と申し入れたところです」とうれしい便りでした。
私自身、かねてから美山に行きたいと何度もチャンスを狙っているのですが、実現できずにいますので、
また一歩近づいた気がしていたところです。縁というのは不思議なものですね。
ところでこの当時、取材と称していろんな著名人にお会いしていたものです。
ちょっぴりお会いした方記してみましょう。肩書は主なもの
将棋元名人 升田幸三氏 台湾料理 程 一彦氏
オペラ歌手 湯浅富士郎氏 高田浩吉氏ご長女 高田 瞳氏
元仏教会理事長 末広愛邦氏 阪神監督 安藤統男氏
スウェーデン日本人会会長 笠原洋二氏
社会党委員長 飛鳥田一雄氏 法政大学教授 駒木悠二氏
日本国旗協会監事 斎藤聴石氏 立山・雄山宮司 佐伯静夫氏
他に アメリカ オーストラリア オランダ スウェーデン人や
中小企業庁長官 大手企業社長ら
取材と称して自分の興味のあることをインタビューできるのですから実の有意義でした。それにしてもよく時間が取れたのです。
取材は多方面に出かけていたのですからね。いまでは宝物としての思い出です。
最後に当時の『夕刊フジ』を転載いたします。
※ 光勝は 早川嘉美の号です。
2021.2.28